「桜蔭から2浪東大」彼女が"多浪"を決意した理由 桜蔭での生活、浪人時代に出会った運命の授業

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高2の夏から学校の後に駿台予備学校に通って勉強は続けていたものの、土日は3時間の勉強しかできていなかったと語る桑原さん。模試の東大の判定はずっとEで、3年生の最後のほうになってからようやくD判定が出るようになりました。

「センター試験は足切りを突破できそうな760/900点くらいだったので、予定通り東大文三に出したのですが、合格最低点より20~30点足りず不合格でした。当時の自分は、成績が伸びなくても、そのうちどうにかなると楽観的に考えていたのです」

現役で落ちてしまい、浪人しようと思った理由を聞いたところ「予備校でいい授業に出会ったから」という答えが返ってきました。

センター試験直後の授業で浪人を決意

「センター試験が終わった後くらいに、駿台で直前講座があったんです。そこで受けた英語の大島保彦先生の授業がとてもよくて、浪人してもいいかなと思えました」

授業の中でギリシャ哲学の話を盛り込むなど、“教養”としての英語を教えてくれる大島先生の授業は、夢も目標もなく生きてきた18歳の桑原さんの世界を明るくしたそうです。

こうして、東大志望が集まる“駿茶”こと駿台お茶の水校3号館に入った桑原さんは、月曜から金曜まで予備校に通い、20人程度の少人数クラスで東大を目指して勉強に励みます。

「現役時よりは勉強時間が増えました。朝〜夕方までの授業時間以外だと、平日は2~3時間、休日は4~5時間勉強していました。模試でも東大でB~C判定が取れるようになったので、ギリギリ受かるかどうかの状態にまで持っていけたと思いました」

センター試験では前年を上回る780/900点を記録した桑原さんは、再び東大文科三類の受験を決意します。

「現役のときはお試しという気持ちがあったのですが、この年は受かりたいという気持ちがありました」

しかし肝心の試験では手応えがイマイチだったそうで、蓋を開けてみれば、この年も合格最低点から10~20点差の不合格でした。

2度目の東大受験も惜敗に終わった桑原さん。併願していた早稲田大学文学部のセンター試験利用入試に合格はしたものの、2浪するかどうか、とても頭を悩ませました。

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