首都圏に生まれた桑原さんは、会社員の父親と、専業主婦をしていた母親に愛情深く育ててもらい、両親の「自慢の娘」だったそうです。
「アンパンマンのおもちゃで遊んでいた、おとなしい消極的な子どもでした。勉強面に関しては、文字を読むのが得意で、幼稚園に入る前にはひらがなとカタカナを自分で勉強して覚えていたそうです。幼稚園のころからKUMON、小4から早稲田アカデミーに通わせてもらっていました」
通っていた公立小学校では、塾の勉強に熱心だったことと、自分の意見を言わない子どもだったことから、先生にはあまり気に入られてはいないと感じていた桑原さん。そのため通信簿ではいい成績をつけてもらえるタイプではなかったと語ります。それでも、塾での成績はよかったようで、中学受験直前のころには、通っていた校舎で上位2番の成績になりました。
「最初は雙葉を目指していました。でも、だんだん成績が上がっていったので、もうちょっと(上に)行けるかも……と思って女子学院に目標を上げて、その過程でさらに上を目指せそうだと思い、桜蔭を第1志望にしました」
「女子御三家」の中でも高みを目指して目標を引き上げていった桑原さん。中学受験では無事に第1志望だった桜蔭に合格します。
ゲームにハマってしまった桜蔭での生活
日本最難関の女子校に合格した桑原さんは「周囲のレベルが高くて驚いた」と当時の日々を振り返ります。
しかし、彼女自身は学校に入ってから堕落の一途を辿ってしまいました。
「英語でつまずいてしまいました。『SVO』など日本語と仕組みが異なることに戸惑ってしまったのです。もともと勉強よりもゲームが好きだったので、『テイルズ オブ』シリーズや『どうぶつの森』、『牧場物語』などをよくやっていました。当時はあまり勉強する気になれず、友達とゲームの話をすることのほうが楽しかった記憶があります」
この当時「桜蔭は成績が開示されない」こともあって、高校3年生まで進路についてあまり考えたことはなかったそうです。
「将来の夢はなくて、大学受験も高校3年生になってようやく意識するようになりましたね。高2で文系を選択して、高3の夏に文学部に行こうと思って東大の文三を志望しました。この当時は本を読むのが好きなわけではなかったのですが、周囲に東大志望が多いから、という理由だけで志望校を設定してしまいました」
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