日本人はなぜ突然、「絶壁頭」になったのか 「骨が語る日本人の歴史」の片山一道氏に聞く

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──身体特徴の変化の要因は?

人間に限らないが、動物は環境変動、生活習慣によって身体特徴がいとも簡単に変わってくる。特に、私の子供の世代から、日本人としては有史以来の「変な人々」になった。

解明されていない絶壁頭への変化理由

──変化は身長だけではありませんね。

顔立ちは、横顔の彫りの深さ、あごのきゃしゃさ加減が骨からわかる。今は小顔なうえに才槌(さいづち)頭から絶壁頭に変化している。中世から江戸、明治の初めまでは才槌頭で、後ろがぴょこっと出ていた。前後が長いから上から見るとラグビーボールのような頭だったが、今の人はサッカーボールみたいなシルエットパターンになっている。

あごは特に江戸時代の頃から小さくなる。同時に虫歯が急激に増え、現代では減っている。小さいあごが単調増加したのは食べ物の影響。頭の変化は決定的理由がわからない。

──通婚圏の変化もある?

今は地域が限定されない。大正や昭和の前半までは、都会の人を除くと、通婚圏は基本的には村と郡ぐらいの単位であり、狭い。これは人間だけというより動物一般の法則なのだが、通婚圏が広くなると体が大きくなる。また、子供の数が多くなる。人間もその範疇の中で考えることができる。

──江戸時代は身長が低くなる傾向で、人口も増えなかったとも。

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ことに戦国時代から江戸時代は、通婚圏の限定が大きな要素となっていたのではないか。封建制社会は通婚圏をたいへん狭くさせる。例外もほとんどありえなかった。社会制度、政治制度がそうさせ、身長が低くなったのに関係しているのだろう。

人口は江戸時代の初めは増えた。だが、上方などの裕福な商人などを除けば、武士でも豊かだったとはいえない。閉塞的な社会だった。

──教科書を書き直さないと。

古人骨は生き方、死に様まで語ってくれる。身体史観は日本人の歴史の社会、政治状況の理解に大きなヒントを提供できると思っている。

塚田 紀史 東洋経済 記者

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つかだ のりふみ / Norifumi Tsukada

電気機器、金属製品などの業界を担当

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