日本人はなぜ突然、「絶壁頭」になったのか 「骨が語る日本人の歴史」の片山一道氏に聞く

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人間の身体的特徴は歴史性を有する

──それは身体史観で例証されている?

片山一道(かたやま かずみち) 1945年広島県生まれ。専門は先史人類学、骨考古学。理学博士。京都大学農林生物学科を卒業。京大大学院修士課程修了。京大霊長類研究所教授、京大大学院理学研究科教授などを歴任。著書に『骨考古学と身体史観』『古人骨は生きている』『海のモンゴロイド』『縄文人と「弥生人」』など。

身体史観は人類学のプロとしての方法論に基づく。人間の身体特徴はその時々にたまさかのものではない。歴史性、時代性を有する。過去何千年か、ひょっとしたら何万年か、あるいは人類というスパンで見ていけば何百万年かの時間が圧縮されている。その圧縮されたものを読み解いていくことによって、人間の歴史の流れを解読する。

要するに、身体史観とは体に聞こうというものだ。となると、古い時代となれば、残された骨に聞くことになる。骨は考古学の遺跡からけっこう出土する。縄文時代のものも貝塚遺跡から芳しい形で出ている。ことに古代の人々の顔立ち、体形など身体特徴を知るにはそれしか方法はない。

人骨がよく残った状態で発見されれば、現代科学において復元が可能でいろいろなことがわかる。それを切り口にして、歴史の主人公たる日本列島人、つまり日本人に話をさせる。日本の歴史を聞いてみようではないか、ということになる。

──その到達点をこの本に込めたのですね。

われわれからすれば常識的な到達点。たとえば縄文時代の人骨が出てくれば、あなたは身長何センチメートル、顔立ち、目、歯はどうで、耳の形はわからないが、頭の格好はわかる。科学的な常識として体形、腕や脚の長さも骨に尋ねうる。立体的な再現性もある。だが、そこまでできる時代になったのに、各種の教科書にはほとんど反映されていない。

依然として、縄文時代となると土偶。古墳時代ならはにわ。こういうものから人物の実像を想像してほしい、となる。話は飛ぶが、時代が下って、源頼朝や織田信長の肖像画と伝えられるものが教科書に出てくるが、それらも実像から離れている。科学の世界、特に人類学や医学をもっと尊重すればそうはならないはずだ。

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