道長の甥「藤原隆家」天皇に放った"驚愕の一言" いったい何があったのか?道長との逸話も紹介
兄に負けず劣らず個性的、藤原隆家
藤原道長の兄・道隆には、個性的な息子たちがいました。1人は、伊周(3男)。伊周は父の死後、叔父の道兼や道長と権力の座を巡り争いますが、思い通りにはいかず、関白の座に就くことはありませんでした。
さらには伊周は思いを寄せていた故・藤原為光の3女のもとに、花山法皇も通っていると誤解(『栄花物語』)。伊周は弟の隆家と共に為光邸に向かいましたが、その従者が花山法皇に脅しの矢を放つという不敬事件を起こしたことで太宰府に左遷されます。後に都に召還されたものの、失意のうちに世を去ったのでした。
この伊周の弟が、隆家(道隆の4男)です。隆家もまた兄に負けず劣らず、個性的でした。
では、隆家はどのような人物だったのでしょうか。平安時代後期に編纂された歴史物語『大鏡』には、隆家は次のように書かれています。
「伊周と同じ腹に生まれた弟君が、17歳で中納言となった隆家でした。隆家は世間の人々から、性悪者・ろくでなしなどと言われていました」と。
冒頭からなかなかの言われようですね。ちなみに隆家の幼名は「阿古」。可愛い幼名です。
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