道長の甥「藤原隆家」天皇に放った"驚愕の一言" いったい何があったのか?道長との逸話も紹介
『大鏡』にも、隆家は、敦康親王に望みをかけていたと記されています。親王が立太子(皇太子の地位に就くこと)されるのを念願していたのです。
隆家はそのような想いを抱く中で、一条天皇が重態になったときに、御前に参上して一条天皇のご意向を伺います。
しかし、天皇は、敦康親王の立太子を拒みました。結果的に、有力な後見人がいないということで、親王の立太子は実現しなかったのです。
その代わりに皇太子に定まったのは、道長の外孫・敦成親王(のちの後一条天皇。母は道長の娘・彰子)でした。
一条天皇の言葉を聞いた隆家の一言
注目すべきは「敦康親王の立太子はできない」という一条天皇の言葉を聞いた隆家の想いです。
『大鏡』によると、隆家はこのとき「人非人が」と嘆声を発したとされます。隆家の激情が読み取れますが、天皇に対して「人でなし」とは余りにも恐ろしい言葉です。
世間では「敦康親王が即位して、隆家が政治を補佐したなら、天下はよく治まるだろう」(『大鏡』)との声もあったようです。隆家は後に太宰府において善政を施したと言われますが、果たして、天下の政も上手く捌けたのでしょうか。
(主要参考・引用文献一覧)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・繁田信一『殴り合う貴族たち』(KADOKAWA、2008)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
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