祟りが原因?道長が重い病に苦しみ続けた背景 三条天皇は無礼を働いたと不満を漏らすことも
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は三条天皇と道長のエピソードを紹介します。
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道長の無礼に不満を抱いた三条天皇
1012年4月、その前年に即位した三条天皇は、藤原懐平(『小右記』の著者・藤原実資の兄)に対し、次のような不満を表明されたといいます。
「左大臣(藤原道長)の私に対する無礼が甚だしい。そのせいで、この一両日の間、寝食もろくにとることができない。とても、心配している。必ず、天の責めを被るであろう」。藤原道長に対する激烈な不満を、三条天皇は臣下に告げたのでした。
実際には、道長のどのような「無礼」があったかはわかりませんが、おそらく、道長が自らの外孫(敦成親王、後の後一条天皇)の即位に向けて、早くも何らかの行動をとっていた、それを三条天皇は無礼と見ていたのかもしれません。
天皇への無礼の天罰かは不明ですが、この年(1012年)の5月頃から、道長は重い病に苦しめられます(実際には3月頃から体調不良だったとも言われています)。
頭が割れるような痛みがあり、意識不明に陥ることもあったようです。父・道長が死ぬかもしれない、そうした想いが募ったのでしょう。子の藤原頼通が簾中で泣き出すこともありました。
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