「AIの存在におびえる人」は自分の価値を再考せよ 「人に必要とされないと嫌」思考がもたらす問題

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暦本:オートメーション社会になればなるほど、当然、人間の要らない領域は増えるじゃないですか。そのときに「やっぱり人間は必要だ」という立場と、「要らないなら要らないでオーケー」という立場では、発想がまったく違う。僕は、後者を原点にして考えたほうがいいと思うんです。自律分散型社会の要素として人間拡張があるイメージです。

それこそ餌が自動的に出てくるネコ社会では、「ネコとは何か」なんて自問しないでしょう。「人間に必要とされなくなったら餌がもらえない」とも考えない。

いま、多くの人が「自分が誰にも必要とされなくなったらどうしよう」と思い悩むのは、必要とされないと仕事がなくなり、最終的には飢えてしまうからですよね。そのリスクがなくなれば、「必要とされる人間でいたい」とも思わなくなるかもしれない。

落合:仕事がなくなっても、少なくとも日本では生きていけるはずなんですけどね。耕作放棄地や空き家はいっぱいありますし、作物被害が多いから狩るべき野生のタンパク質もそのへんにいっぱい歩いているのが、日本の主な現状なんですよ。

つまり、社会との関わりがない場所ならば、リソースは無限にある。さらに農業を始めれば補助金なんかも入ってくるから、生きていけるかもしれない。

しかも、それはけっこう楽しい。シカやイノシシを猟で撃ったり好きな野菜や穀物を育てたりしつつ、毎日プログラミングしながら研究していていいですよといわれたら、楽しいじゃないですか。にもかかわらず「人に必要とされないと嫌だ」というのは、僕にはよくわからない。

人はなぜ自分が「必要」とされたいのか

暦本:いまの生活が単なる思い込みにすぎないのかもしれないよね。その思い込みがバーンと外れると、みんなそっちに行ける可能性がある。古民家ユーチューバーって知っています? 古民家を50万円ぐらいで買い取って、延々と自分で直していくんですよ。

みんながうまくいっているわけでもないけど、すごく楽しそうな人もいる。あれ、生活コストがほとんどゼロなんですよね。近所の人が余った野菜なんかをくれるので。

落合:だから、ほかの国では飢えるかもしれないけど、たぶん日本で飢えることは少ないですよね。「生活保護が受けられるから」という話ではなくて、飢えないだけの環境がある。そういう世界において「必要とされる人間」とはいったい何なのかは、一度考えてみたほうがいいでしょうね。

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