始まりは「哲学的な問い」への関心
堀内:先日、松尾さんがNHKの「フロンティア」に出演された際に、自身の学生時代からの哲学に対する関心が現在のAIの研究に大きく結びついているとお話しされていたことが印象に残っています。松尾さんのAI研究の原点には、そうした哲学的な思索があるという理解で正しいでしょうか。実は本日の対談も、そこに興味があってお願いしたのですが。
松尾:哲学的な問いへの関心は子どもの頃からあって、たとえば「自分とは何だろう」「死後の世界はどうなっているのだろう」、あるいは「いま考えている自分がいることは不思議なことだ」といったことに思いを巡らせているような子でした。
高校3年生の受験期に入ると、勉強から逃げたい気持ちもあり、学校の帰りに図書館で哲学書を読み漁るようになりました。とりわけヴィトゲンシュタインが好きで、そこで存在と認識の問題に関心を持つようになりました。
そのような経緯があって人工知能の研究をするようになったので、私の研究はこれらの根源的な問いに基づいていると思っています。ブームになろうがなるまいが、これほど面白いことはないと思って研究を続けてきました。
堀内:実はいま、東洋経済と一緒に教養をテーマに本を作っているのですが、AI研究の最前線で活躍され、「人間の知能」の解明に挑んでいる松尾さんに、「人間はなぜ学ぶのか」「教養とは何か」「今の学校教育についてどう考えるか」などについて、ぜひ話をうかがってみたいと思っていました。
松尾:「学ぶ」ということについては、私たちの脳はハードウェア的には2000年前~3000年前から大きく変わっておらず、それほど進化していません。しかし、その頃の人たちに比べて、現代に生きる私たちは何か高みにいる、物事が見渡せるような特権を与えられています。それはなぜかというと、小さい頃から多くのことを効率的に学んでいるからです。
「数学の因数分解など社会に出てから一度も使ったことがない」と言う人がいますが、この世界の多くの事象が因数分解として考えられるという見方、要するに、ものごとを複数の独立の要因に分けて、掛け算として表せるという見方を学んでいるわけです。それがまた社会や科学、技術の進歩につながっている。こうした見方・考え方を人生の初期段階である学生時代に学ぶことは、とても意味のあることなのです。