堀内:最近の教養ブームでは、多くの人が「教養」=「知識」だと考えているところがあるように思います。でも私はまったくそうは思わないんですよね。私は数年前に『読書大全』という本を書いたせいか、よく「堀内さんは博覧強記ですね」などと言われるのですが、そう言われると非常に複雑な気持ちになります。ウィキペディアやChatGPTのほうが私よりずっと博覧強記ですけど……と思うのです。
松尾さんのお話をうかがっていると、まず「人生をどう生きるか」が重要な課題としてあって、そのために正しい意思決定の方法を身に付け、正しく生きるために教養を学ぶ必要があるということだと思います。教養を身に付けることで、自分の人生の意思決定をより幅の広いものにしていくことができると。
人間が生きる意味について
堀内:私はもともと社会人のスタートが銀行員でしたが、当時を振り返ってみると、まったく主体的に生きていなかったと感じています。銀行というところは、幅の狭い世界で、幅の狭い意思決定をして、そうした狭い世界で40年くらいずっと会社に面倒を見てもらえて、それはそれで人生の辻褄は合っているので、そういう人生を否定する気はありません。経済的にも困ることはなく、セカンドライフは友だちと好きなゴルフをして、それはそれで楽しそうだなと思うわけです。
しかし、私自身は学ぶことで自分の視野を広げて人生を豊かにしていくということの本質的な意味を、もう少し議論したいと考えています。単純に幸せになるというのであれば、むしろ視野が狭いほうがよいのかもしれませんが。
松尾:その通りだと思います。幸せだけを求めるなら、部屋に閉じこもってゲームをしてコンビニの弁当を食べてという生活が実はいちばん幸せなのかもしれません。しかし、人間が人間である理由は何かというと、やはり「知りたい」「理解したい」という欲求にあるはずです。
私にとって「生きることの意味」は、「知る」というか「世界のあり方を理解する」ことです。何かを学ぶ、何かを身に付けるようになると、それによって見える世界が変わってくる。そして、また新しいことと出会い、新しいことができるようになって、また見える世界が広がっていく。こういうことがとても奥深いと思っていまして、それを突き詰めていくのが人生ではないかと感じるのです。
堀内:松尾さんが子どもの頃に持っていた哲学的な問いは、現在の研究においてもモチベーションやドライビングフォースになっているのでしょうか。