落合:AIを警戒する人が絶えないのは前から不思議だったんですけど、去年、東浩紀(あずまひろき)さんと対談したときに、その問題が発生する理由がわかってきたんです。「人間」という言葉を口にする回数が多い人ほど、テクノフォビアみたいになるんじゃないかと思うんですよ。
みんな「人間、人間」というでしょ? でも、なんで人間とAIを比べているのかが、そもそもよくわからない。
暦本:たぶん、自分が他者や社会に必要とされることが重要なんでしょう。「AIがあればおまえは必要ない」といわれることに耐えられない。必要とされないと、生きている意味が感じられないと思っているんじゃないだろうか。
落合:そうなんですかね。まあ、たしかに西洋哲学は「人間」が好きだし、「必要」という概念も重視するけど。
暦本:東洋思想は? 荘子(そうし)※3とかは、そうでもないですよね。
※3 荘子(生没年未詳) 中国戦国時代(紀元前403─紀元前221年)の思想家。諸子百家のひとつ「道家」を代表する存在。司馬遷の『史記』によると、老子の思想を継承し、孔子を批判したとされるが、荘子のほうが老子に先立つ思想家だという説も有力視されている。その思想の根底にあるのは「斉物」という概念。現実の善悪や貴賤といったすべての価値観を超越視する、観念哲学の一種とされる。
落合:たしかに。荘子は人間中心主義ではないし、仏教もそうです。だから東さんとの対談では、僕は「もう人間はいいんだよ」という結論に達しました。僕は最初から、「人間とは何か」は本当にどうでもいいと思っている立場なんです。
暦本先生も、「人間拡張」※4というテーマを掲げているわりには、「人間とは何か」みたいな話はあまりされませんよね。
※4 人間拡張 人間の認知や身体能力の限界をテクノロジーによって超えようとする考え方。暦本は著書『妄想する頭 思考する手』(祥伝社)の中で、〈私が研究している「ヒューマン・コンピュータ・インタラクション」という分野は、人間と機械を「つなぐ」のがテーマだが、それは人間と機械の境目が曖昧になる、あるいは「なくなる」ことを意味している。「ヒューマン・コンピュータ・インテグレーション」と言ったほうが正確かもしれない。機械を自らの中に取り込むことによって、「人間」という概念がこれまでよりも広がる。それが、私の抱いている妄想の土台である「人間拡張(Human Augmentation)」だ。〉と述べている。
人間の要らない領域は増える
暦本:まあ、奥さんとも「人に興味がない」という話になったぐらいだから(笑)。あらためて自問すると、それほど興味がないかもしれないと思っています。
落合:人間拡張は、人間の補集合ですからね。