2浪「東大文1」30年前に地方から目指した彼の奮闘 東大試験でまさかの事態、どう挽回したのか

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この決断が、彼の成績が伸び悩む原因を作ってしまいました。結局、現役時の共通1次試験は860/1000点と、ボーダーである9割を少し割るくらいの点数だったものの、2次試験で失敗し、東大の文科一類に落ちてしまいました。

「試験が終わった瞬間に落ちたと思いました。申し訳なかったのが、親戚のおばちゃんに激励されて、お金や差し入れをもらったり、母方の祖父が合格発表のときに『孫が東大に受かるかもしれん!』と上京してきたりして、田舎だから周囲が東大に受かるかもしれないということで大騒ぎしていたことですね。結果は本人がいちばんわかっていただけに、応援してくれたのに結果を出せなかったことを、申し訳なく思いました」

こうして現役の受験を失敗で終えた田中さん。彼は浪人した理由を「なんの取り柄もない自分が唯一できることだったから」と答えてくれました。

「勉強自体はずっとしていました。だから、必死にガリ勉していた自分がまさか浪人するとは思っていなかったんです。勉強しかできないはずの自分が落ちるなんてありえないと落胆しました。大学に入って浪人生をバカにするやつがいたら、自分が諌めてやるつもりだったのに、まさか自分が浪人生になるなんて……。だから、持っていたしゃもじに『鬼』と書いて、浪人した以上は絶対に東大に行くと決意しました」

東大模試でA判定、ついに射程圏内に入ったが…

厳しい父親も、「上の学校を目指せば、満足する人だった」ために浪人を認めてくれたようで、4月から千葉県の下総中山駅近くの寮に住みながら、お茶の水にある駿台予備学校の3号館に通い、東大を目指して勉強を始めました。

浪人 濱井正吾 早稲田 東大
東京大学(撮影:今井康一)

根岸世雄先生、長岡亮介先生といった駿台の超一流の先生たちが、板書しながら、一緒に問題の答えを考えたり、ヒントを与えたりしてくれる講義は、田中さんにとって非常に刺激的でした。駿台の授業を受けたことで、数学の成績は大きく伸びたそうです。

その結果もあって、現役時に偏差値40程度だった東大模試の結果は、60を超えるようになっていました。模試でもA判定が出て、ついに東大が射程圏内に入ります。しかし、満を持して臨んだ共通1次試験では、810/1000点と、国語の失敗で前年より下がってしまいました。

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