2浪「東大文1」30年前に地方から目指した彼の奮闘 東大試験でまさかの事態、どう挽回したのか

✎ 1〜 ✎ 74 ✎ 75 ✎ 76 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

田中さんは1967年、熊本県の本渡市(現:天草市)に生まれました。父・母ともに中学校・小学校の教員で、教育熱心な家庭だったようです。

「母親は私が入学した新和町の小学校で教えていました。朝と夕方にバスがそれぞれ1本しかない僻地で、小学校は全校生徒合わせて100人程度でした。

その中でも私の学年は丙午(ひのえうま)の迷信があったので、とりわけ人数が少なく、同級生は11人しかいませんでした。4年生のときに親の転勤で本渡市の学校に転入し、全校生徒も200人に増えましたが、1学年1クラスだったのは変わりませんでした」

「人口は少ないし、産業もない場所だった」と語る田中さんの幼少期は、父親の過激なしつけが大きく影響していたようでした。

「親父に小学校1年生ごろから、繰り上がり・繰り下がりの足し算をやらされていたのですが、できなかったらそのたびに思いっきりぶたれました。筋肉隆々の30代の男性に、それをやられたらたまらないんです。何としても将来偉くなって仕返ししてやる!というモチベーションで勉強をしていました」

父親は2021年に亡くなったそうですが、それまでの人生でも、田中さんの頭の中にはずっと小さい頃の思い出が鮮烈に残り、見返す対象として、勉強を頑張っていたそうです。

いじめの対象になってしまった

その結果もあって、小学校のテストでは100点を連発。中学校に上がってもトップクラスを維持しました。しかし、身体が弱く、運動が苦手だった彼は、いじめの対象になってしまったそうです。

「田舎だから、勉強しかできない人間はいじめられるので、小・中学校時代はそれで嫌な思いをしました。生まれてくる場所と親は、残念ながら選べません

中学生になった田中さんは、進学校である熊本高等学校に進学しようと考えていました。

「中学校時代から『ブラック・ジャック』みたいな医者になりたかったんです。自分のように身体が弱い人を助けたかったのと、作品内に出てくるブラック・ジャックの父親も、悪いやつだったので、自分の境遇と重ね合わせていました。その影響を受けて、熊本大学の医学部に行くために、熊本高校に行こうと思っていたんです」

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事