田中さんは1967年、熊本県の本渡市(現:天草市)に生まれました。父・母ともに中学校・小学校の教員で、教育熱心な家庭だったようです。
「母親は私が入学した新和町の小学校で教えていました。朝と夕方にバスがそれぞれ1本しかない僻地で、小学校は全校生徒合わせて100人程度でした。
その中でも私の学年は丙午(ひのえうま)の迷信があったので、とりわけ人数が少なく、同級生は11人しかいませんでした。4年生のときに親の転勤で本渡市の学校に転入し、全校生徒も200人に増えましたが、1学年1クラスだったのは変わりませんでした」
「人口は少ないし、産業もない場所だった」と語る田中さんの幼少期は、父親の過激なしつけが大きく影響していたようでした。
「親父に小学校1年生ごろから、繰り上がり・繰り下がりの足し算をやらされていたのですが、できなかったらそのたびに思いっきりぶたれました。筋肉隆々の30代の男性に、それをやられたらたまらないんです。何としても将来偉くなって仕返ししてやる!というモチベーションで勉強をしていました」
父親は2021年に亡くなったそうですが、それまでの人生でも、田中さんの頭の中にはずっと小さい頃の思い出が鮮烈に残り、見返す対象として、勉強を頑張っていたそうです。
いじめの対象になってしまった
その結果もあって、小学校のテストでは100点を連発。中学校に上がってもトップクラスを維持しました。しかし、身体が弱く、運動が苦手だった彼は、いじめの対象になってしまったそうです。
「田舎だから、勉強しかできない人間はいじめられるので、小・中学校時代はそれで嫌な思いをしました。生まれてくる場所と親は、残念ながら選べません」
中学生になった田中さんは、進学校である熊本高等学校に進学しようと考えていました。
「中学校時代から『ブラック・ジャック』みたいな医者になりたかったんです。自分のように身体が弱い人を助けたかったのと、作品内に出てくるブラック・ジャックの父親も、悪いやつだったので、自分の境遇と重ね合わせていました。その影響を受けて、熊本大学の医学部に行くために、熊本高校に行こうと思っていたんです」
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