東日本大震災の後、地元である宮城県で災害公営住宅の建設に携わり、その後、自身の起業の準備を始めることになる。
学生時代から会社を経営し、売り抜けた経験もある。登記なども、できることは自分自身の手でやって学んできた。
そのうえで、海外で起業しようと思ったのは、復興への葛藤と子どもの将来というのが大きかったという。
「海外移住」を決意した理由は?
「震災復興に携わらせていただいて、最初は子どもが小さかったので、在宅勤務で母乳を与えながらパソコンに向かうような毎日でした。祖母もプレハブの仮設住宅にいたのもあって、このときは必死でしたね。どんどん忙しくなる業者としての部分と被災者家族としての両面から目の前の現実を見てきて、いろいろと思うことがあったんです」
奥田さんは、家族が震災の被災者であると同時に、携わっている建設関連の仕事は復興事業の要であり、これまでよりも潤っているというなんとも皮肉な状況に身を置くことになる。
「自分がしたいこととできることの落差も痛感して、自分の中でやり切ったなと思えたとき、思い切って海外に移住しようと思いました。モノより経験に費やしたいと思って子どもにも『日本の他にもたくさんの国がある』と知ってほしかったので、『英語と中国語を学ばせたい』と思って。それならアジア圏がいいよねということで、最初はマレーシアに行きました」
建設業に携わっているからこそ感じた、震災復興における光と影。
そんな現実を目の当たりにした奥田さんは、思い切って地元を、さらには日本を離れる決意をする。
そして、マレーシアを皮切りに東南アジアを巡る起業準備の旅が始まる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら