イタリア人精神科医が語る「日本人の生きづらさ」 「察する」ことで自身の感情表現を蝕んでいる
アメリカ人は、内的経験よりも外的ディスプレイを高く評価し(感情を認識する)、日本人は、はっきり表示されていない感情でも認識するわけです。
つまり、アメリカ人は強度に関係なく、すべての表情に対して、内的経験に対する外的ディスプレイの評価を誇張する可能性があります。たとえば悲しい顔を見れば、その人はものすごく悲しんでいるだろうと思うわけです。
一方、日本人は外的表示と内的経験の強弱を区別できます。その結果、外的表示に対する内的経験の推定評価が高くなるのかもしれません。
いわゆる「察する」というもので、実際には、どれくらい悲しんでいるのか、程度をもっと正確にとらえることができるのです。
思いやりこそ、自身の感情表現を蝕んでいる
不安が強く、過換気発作と不眠症、意欲低下で受診したCさん。最近、上司に叱られたり、結婚相手になじられたりするのが辛く、日常生活において喜びを感じないといいます。
自分の気持ちが理解されていないと思うけれど、自分の気持ちなんて伝えてもしょうがない、価値なんてないのではとも訴えていました。
Cさんも日本の「察する」という文化もあって、同期、上司、結婚相手の気持ちを読み取り、彼らの気持ちを踏みにじられないために、最善の配慮をしていました。
ただ、この思いやりこそ、自身の感情表現を蝕んでいる可能性があります。相手が怒るだろう、不愉快だろうと思うと、自分の気持ちを伝えるのをあきらめて、溜め込んでしまい、結果として、いろいろな意味で相手に近づけなくなっていきます。