明治大学に入った加藤さんは、いったんは大学生活を謳歌しようと頑張ります。
「高円寺の風呂なし3万円の物件に入り、サークルに入って毎日お酒を飲んでいる、普通の大学生でした」
1年目は何事もなく終えますが、2年目に転機が訪れます。夏ぐらいにサークルでできた親友と好きな人が付き合うことになり、ご飯が喉を通らなくなったそうです。
「1カ月で5キロ痩せましたね。ショックで大学に行けなくなり、ノンフィクション作家、沢木耕太郎さんの『深夜特急』を読んで海外を放浪しようかな、と打ちひしがれていました。そう考えてぼんやりしていると、ある日、『SWITCH』という雑誌に沢木さんのインタビューが載っているのを見つけたので興味を持って読み進めたんです」
沢木耕太郎さんが人生を変える
そこでは当時の加藤さんと同じくらいの年齢、横浜国立大学経済学部にいた22歳のころの沢木さんの人生が丁寧に振り返られていました。
「沢木さんも当時やりたいことがなかったらしいんですが、そのまま卒業論文を書く時期になって、彼は、1人の人間を書きたいと思ったそうです。フランスの小説家、アルベール・カミュが生まれてから死ぬまでの伝記を書かれて、その締めが『この論文はカミュのことを書いていたけど、本当は僕自身のことを書いている。だから、この続きは僕が生きないと書けない』で終わるんですね。卒論を担当した先生は、卒論としてはダメだけど、エッセイとしては面白いと言って優評価をくれたそうです」
のちに沢木さんは、この卒論の指導教授が紹介してくれた雑誌に文章を書いたことがきっかけで、ノンフィクション作家としてのキャリアを開拓していきます。
そのエピソードに感情移入した加藤さんは、横浜国立大学に連絡して、沢木さんの論文を読ませてもらいました。彼はその内容に、今までの人生観が変わるほどの感動を覚えたそうです。
「『情熱』の大切さが序章に書いてあったんです。大事なのは理論そのものじゃなくて、その理論は情熱が作ったんだと沢木さんは書いていました。だからそれを読んだ僕も、情熱が乗り移って、沢木さんに手紙を送ったら、著書に”In your own way”という言葉を書いてプレゼントしてくださったんです。
それで、自分も沢木さんのような人間になりたいと強く思いました。でも、よくよく考えてみるとそれは沢木さんの真似で『自分の道』ではないわけです。そこで、自分はあれだけ早稲田に行きたかったのに諦めてしまったことがすごく引っかかったんです。だから、納得できるほど勉強して、早稲田に行かなければならないと強く思いました」
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