「5浪早稲田」彼が選んだ"妖怪絵本作家"という道 人生を変えた沢木耕太郎さんとのエピソードも

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こうして加藤さんは2浪に突入します。

高校の同級生で1浪していた人はたくさんいたそうですが、ほとんどが進路を決め、2浪に突入したのはわずか3人になってしまったそうです。

そこで危機感が芽生えた加藤さんと仲間たちは、3人で協力して予備校に通わず、毎日図書館で勉強することを決断します。しかし、彼はこの判断は失敗だったと振り返りました。

失敗してきた3人で勉強するので、成績が伸びない理由がわからないのです。ある日、リーダー格の友人が『24時間テレビのマラソンで完走する間寛平のような根性が足りないんだ!根性をつけるために今から原付で長野に行くぞ!』って言い出して、3人で遠出をしたりしていました。後から考えたら、そんなこと言わずに勉強しろって話ですよね(笑)。結局、去年と同じように勉強が進まず、成績も変わりませんでした」

「成人式とセンター試験の日が被ったことを覚えている」という20歳の冬はほろ苦い思い出となり、またしても現役時代よりも成績を下げ、早稲田3学部を受けて全滅という結果に終わってしまいました。

3年続けて受験で失敗した加藤さんは、「さすがに家にいてはいけない」と思い、東京に出て新聞奨学生をやりながら予備校に通う決断をします。

「新聞の配達を住み込みでやると、生活費や住む場所、予備校の費用を無償で負担してくれるという仕組みがありました。それで東京の練馬の専売所で働くことになるのですが、僕は配るのが遅くて、一緒に住み込みをしていた年下の浪人生からバカにされていました」

3浪で明治大学に入ったものの…

朝3時から朝刊を配達して、終わったら予備校で授業を受けて、夕方からまた夕刊を配るという過酷な生活を送った加藤さん。配達が遅れて授業に遅刻することもあり、定刻までに着いても勉強に集中できませんでした。

職場の後輩に「加藤さんは全然勉強してないし、早稲田なんて絶対受からない」と言われていたこの時期が、精神的にいちばんつらい時期だったと彼は語ります。

自分は人間としてダメだ」と絶望し、自己肯定感が底になってしまった彼は、予備校も住み込みも挫折してしまい、名古屋の自宅に戻って勉強をする決断をします。この年も成績こそほぼ横ばいでしたが、予備校で英語の勉強をしていたこともあり、早稲田に3学部出してすべて落ちたものの、ようやく明治大学と法政大学に合格しました。

「もう、これ以上は精神的にきつい」と思った彼は、3浪で明治大学二部文学部に進学する決断をします。

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