有名な大坂城で開かれた茶会で、吉継が茶を飲んだ際に茶碗に入った膿を恐れ、出席した諸将が茶を飲むふりをして避けていたなかで、三成は感染を恐れず飲み干したという逸話もこのころのものです。
三成にとって吉継は、同郷の5歳年下の部下だったわけで、吉継を想う気持ちがそうした行動に出させたのだと思われます。もちろん上司・三成に吉継が感動したのは間違いないでしょう。
行政能力にも長けていた吉継
秀吉は吉継の能力を高く評価し、敦賀5万石を与えます。清正、正則、三成らに比べると少ない所領ですが、このあたりは吉継の病のことが秀吉としては懸念だったのかもしれません。
吉継は行政能力にも長けています。領内の産業を促進し寺社などの保護にも努め、また水軍の育成など軍政改革もすすめるなど堅実な統治を行っていました。
秀吉が朝鮮出兵を始めると、吉継は三成とともに渡韓軍の監視監督の任務につきます。このとき三成は、その報告内容から清正や黒田長政らに深く恨みを買うことになるのですが、吉継にはそういうことはありませんでした。
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