苦境のレゴを復活させた「経営者の直観」その中身 「すばやい対応」だけでは現状打破には不十分
ところが1864年、フランスの化学者ルイ・パスツールが信頼の置ける一連の実験をおこない、「微生物原因説」を唱え、瘴気説を葬り去った。
ここで着目したいのは、その300年ほど前にイタリアの詩人・医師・科学者であったジローラモ・フラカストロが「微生物原因説」を予想していたことだ。1546年、彼は『伝染、伝染病とその治療について』という本を執筆した。
このなかでフラカストロは、伝染病は「悪い空気」によって生じるのではなく、「種のようなもの」つまり「胚種」が人から人へと広がっていくのではないかと述べた。「胚種」は化学物質で、気化して空中に発散すると考えていたのである。
私たちにはいま、「胚種」なるものの正体が微生物であることがわかっているが、フラカストロの考え方は当時、斬新なものだった。そのため、科学界はフラカストロの声に耳を傾けなかった。「悪い空気」が病の源であるという説が主流だったため、種のような物質が犯人だという考えは、当時の科学界のヒエラルキーを打ち破ることができなかったのだろう。
「微生物原因説」に移行するまで時間がかかった理由
フラカストロの説が最初に発表されてから1世紀以上がすぎた1674年、オランダの科学者アントニ・ファン・レーウェンフックがすぐれた顕微鏡を発明し、微生物を直接観察することに成功した。
この顕微鏡で一滴の水を見た彼は微小動物を発見して驚き、「微小動物(アニマルクル)」と名づけた。まだ伝染病との因果関係は発見されていなかったため、ファン・レーウェンフックの観察の意義は、その200年後にパスツールの実験によって、初めて評価された。
科学界が「悪い空気説」から「微生物原因説」に移行するまでにこれほど長い時間がかかったのは、主流の考え方にそぐわないため、多くの人が硬直した考え方によって無視したからだ。
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