原価率50%近いの商品も! 銀座ウエストが78年愛される「不変の哲学」と「驚異の素材主義」の秘密

銀座7丁目で今も繁盛している銀座ウエストの店舗。80年近く愛されてきた背景には「不変の哲学」と「驚異の素材主義」があった(撮影:今井康一)
朝9時の開店と同時に、次々と人がなだれ込んでくる。今年で創業78年のレトロなスタイルが魅力の喫茶店「銀座ウエスト」。創業時以来の古きよき雰囲気を今に伝える貴重な店だ。
80年近くに及ぶ歴史の中で、何がそこまで人をひきつけてきたのか。本記事では銀座ウエストの2代目社長、依田龍一氏の回想も交えつつ、前後編の2回に分けて同店の魅力の秘密を解き明かしていく。
前編:東京オリンピックが「リーフパイ」を生んだ? 創業78年の喫茶店・銀座ウエストがたどった数奇な運命
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バブル期以降に訪れた数々の危機
平成バブル期はさまざまな投資の誘いなどがあったが、大きな動きはせずに、質実剛健な経営に徹した。それがよかったのか、バブル後も大きなダメージはなかったという。
その後も銀座ウエストは順調に推移していったが、1986年、66歳の先代、依田友一社長は直腸がんを患った。手術は無事成功したが、この機に、ヤマハ発動機に勤務していた長男の龍一氏(当時35歳)を呼び戻し、以降、2人で経営に携わることになる。
「まったく別の業界からの転身に、わからないことだらけでしたが、とにかく先代の考え方に従っていきました」と龍一氏は言う。
その後も平穏な営業を続けてきたときに、突然、銀座ウエストを襲った事故が1992年の火事である。裏側の事務所から火の手が上がり、店内は半焼。事務所からは青空が見えたという。
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