最近のスタートアップは、オフィスにダーツなんかを置いていますが、それも、余裕を持ちたいという気持ちの表れかもしれません。
オンラインサロンなどでは、「目の前にある仕事以外のことで、自分を豊かにしよう」という話がよく挙がりますが、参加者は、お金を払ったのだから、何かを得なければという感覚で、余裕がありません。
実際には、散歩や風呂など、何もしない時間こそがアイデアの源流になります。余裕を持たなければ、インプットも減る一方です。
余白や遊びから、アイデアやユーモアが生まれますし、それが人と人との繋がりを強くします。
目の前にいる人を、「自分にとって価値があるかどうか」という合理性だけでしか判断しない人がいますが、相手にとっては不快ですから、逆に距離を置きたくなるでしょう。
そうではなく、「この人面白そう」「楽しくて好きだな」という余裕のある感覚で近づいてきた人のほうが、仲良くしやすいですよね。
幕末期の日本人はユーモアにあふれていた
日本人の自己イメージが、妙に堅苦しいという問題もあります。
日本人と言えば、「真面目で品行方正な、村社会に住んでいる土着の人間」と思い浮かべるでしょう。しかし、そうではありません。
歴史学者の渡辺京二さんの著書『逝きし世の面影』によれば、幕末から明治初期の日本人は、ひっきりなしに笑い転げていたそうです。
好奇心旺盛で、開国間もない時期は、欧米人を珍しがり、ぞろぞろ見に来て、触ったりする。仕事もけっこう適当で、職人に仕事を頼んでも、昼間から酒を飲んで出てこなかったりしたそうです(笑)。
日本人は、意外にもユーモアのある楽しい民族だったということは、知っておいてもいいかもしれません。
それが、どうしてこんなに堅苦しくなったのでしょう。
特に戦後は、マルクス主義的な歴史観もあり、「戦前は封建的で暗黒時代だった」というイメージを作りすぎたのかもしれません。
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