結局、必死に対策した明治には合格するも、早稲田の法学部に受からなかった桐原さんは2浪をするかどうか、深く悩みました。
「私の高校は1浪したらみんな東大や早慶、旧帝大に受かっていくので、彼らに負けるのが嫌だという気持ちがありました。ここまでやったし、母と父に頭を下げて、東大受験のためにもう1浪させてほしいと頼みました」
そこで彼は、受験に対する自分自身の姿勢を反省することになります。
意識が変わった母親の言葉
両親は2浪を止めることはしませんでした。そのかわり、母親が桐原さんにある問いかけをします。それが「なんであなたは大学受験をするの?」「なんで東大なの?」という質問でした。
「そう母親に言われるまで、自分がなんで東大を受けるか考えたことがなかったんです。結局のところ、自分のプライドだという結論に至りました。周囲に流されて、見栄を張っていたから落ちてしまったんです」
自分の姿勢を見直した彼は、もっと素直に自分の将来について考えてみようと思いました。そこで、小学校から仲のよい幼馴染と高校の友人に会って話を聞いてみたことで、人生の方向性が決まったそうです。
「高校を出てすぐ公務員になった社会人2年目の子に話を聞くと、『大卒に命令されるし、給料も安いし、大学に行きたかった』と言っていました。
もう1人の子は後に5浪で大学に入るのですが、弟を大学に行かせるために母親の介護をしながら勉強し、行けるタイミングで大学に進学しようと考えている子でした。その2人の話を聞いて、自分はなんて恵まれているんだろうと思ったんです」
自分の家庭も決して裕福じゃないのに、母親や父親がそれを気づかせないよう、支えてくれていたことに気づいた桐原さん。浪人生活が終わってから、1浪目・2浪目と両親が予備校の費用を借金して負担していたことを知ったそうです。
「自分は恵まれている。教育は生まれた環境から人生逆転するチャンスでもあるのに、生まれた環境から逆転できない人がいるのはおかしい……」
そう思った桐原さんは、国の教育の仕組みを変える人間になりたいと思いました。そこで官僚や政治家になりたいと思い、手始めに官僚になる方法を調べました。
キャリア官僚になるためには国家総合職の試験に通る必要があり、試験の合格者をいちばん輩出している大学・学部を調べたところ、東大法学部、早稲田法学部、中央法学部だったため、この3つを受けようと、明確に意識を変えて、2浪目に臨みました。
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