2浪東大落ちの彼が「24歳で高校の副校長」の裏側 1点差で東大に不合格、なぜ副校長になったのか

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しかし「やればできる」と思い込んでいた彼は、勉強に力を入れることができませんでした。高3の模試でほとんどE判定だった彼は、センター試験も750/900点と東大受験者の中では低めの点数に終わります。

「模試で問題が解けなかったこともあり、この時点で自分は『東大に落ちるだろうな』と思っていました。戦う前からもう、心が折れていたんです」

結局、現役時の桐原さんの東大受験は最低合格点から40~50点足りず不合格。滑り止めの早稲田大学文学部も落ちてしまいました。

「東大を受ける自分すごいでしょっていう見栄ばかりで、プライドが邪魔をした高校生活でした。もっと真面目に受験勉強しておけばよかったなと思います」

こうして「どこにも受からなかったから、しょうがない」と思った桐原さんは浪人を決断します。

「学年320人のうち100人くらいは浪人する学校でした。みんな通学路にあった河合塾水戸校に行っていたので、私もそこに入りました」

現役時の失敗を反省した1浪目の桐原さんは、授業にしっかり出て勉強を重ねます。

「河合塾に入ってすぐの授業で、先生が『河合塾のテキストはすごく分析されているので、予習・復習をやれば成績が上がります』とおっしゃっていたんです。だから朝ちゃんと起きて予備校に通いながら、休み時間もずっと予習・復習を徹底していました。すると本当に成績が上がったんです」

夏の河合塾の全統模試で、桐原さんはA~B判定を連発するようになりました。この結果を受けて、少し気が緩んだものの、勉強時間は10時間を下回らないようにしていた桐原さんは、たしかな手応えをつかんでいました。

目先の合格に目が眩み、東大に落ちた1浪目

しかし、12月に入って河合塾の授業が全部終わったとき、彼は自分でどうやって計画を組んで、どう勉強をすればいいのかが、わからなくなってしまったのです。

「とりあえず、なんとなくセンター試験や東大の2次試験の過去問を解いていたのですが、センター試験本番で760/900点程度しか取れなかったことに焦って、急遽明治大学と早稲田大学に出願したんです。

センター試験が終わってから、明治の過去問、明治の入試が終わったら早稲田の過去問を解くことに集中していたら、あっという間に東大文科一類の受験日が来てしまいました。目先の合格に目が眩んで、十分に本命の対策ができずに、東大に合格最低点から8点差で落ちてしまいました

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