2浪東大落ちの彼が「24歳で高校の副校長」の裏側 1点差で東大に不合格、なぜ副校長になったのか

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桐原さんは茨城県水戸市に生まれました。桐原さんは1人っ子で、両親がいろんな仕事を掛け持ちしながら、愛情いっぱいに育ててくれたそうです。

「小さいころからずっと両親が共働きで、小学校6年生までは母方の祖父母の家でずっと暮らしていました。両親はともに高卒で、仕事で苦労していたこともあり、私に将来苦労してほしくないからと愛情をたくさん注いで育ててくれました」

小学生のときの桐原さんは、先生の言うことは絶対守る優等生だったそうです。国語や数学などの主要教科の成績も3段階評価ですべて3でした。そんな彼は、地元の公立中学校が荒れていたこともあり、両親の勧めで私立の水戸英宏中学校を受験し、進学することになります。

中学3年生になると、茨城県内有数の進学校である水戸第一高等学校に行きたいと思い、「人生でいちばん勉強した」というほどの猛勉強を重ねます。

「『全国高校入試問題正解』という英語・数学・国語・理科・社会の47都道府県の入試問題が全部入っている冊子があるのですが、夏休みだけで全国の全科目の問題を解ききりました。それでも、水戸第一高等学校のA判定は一度も取ったことがありませんでした」

5教科500点満点で、420~430点取れたら合格のボーダーラインと言われる高校で、桐原さんが取っていたのはいつも410~420点だったそうです。志望校を下げるか悩んでいたそうですが、母親に背中を押されたこともあり、本番は自己最高の460点を取って合格しました。

しかし、この成功体験が桐原さんに慢心を呼び起こさせます。

見栄を張って東大を志望校に設定

水戸第一高等学校に入ってからの桐原さんは、「天狗になってしまった」と当時を振り返ります。

「自分はすごい人間だと勘違いして、勉強をしなくなりました。高2の冬くらいからようやく周囲が志望校を決め出したので、第1志望を東京大学に設定したのです。県内で1~2番の高校である水戸第一高等学校に入ったときに周囲から褒められたのですが、またすごい目で見られたい、優越感に浸りたいという、それだけの理由でした

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