ロッキンvsNHK「リーク騒動」に学ぶ3つの重大論点 カルチャー誌と報道機関は「伝え方」が違う
・論点その3:カルチャー誌と報道機関の「伝え方」の違い
カルチャー雑誌を源流としているロッキンと、報道媒体であるNHKでは、そもそも「情報との向き合い方」が異なっている。
ロッキンは、名前からもわかるように、渋谷氏が立ち上げた音楽雑誌『rockin'on(ロッキング・オン)』『ROCKIN'ON JAPAN(ロッキング・オン・ジャパン)』の流れをくんでいるイベントだ。雑誌、とくにカルチャー誌は「ストーリーを紡いで、ひとつの時代をつくる」ことが、ひとつのアイデンティティーである。もし過程ではなく、結果に価値を求めるのであれば、「未完成」のまま打たれる速報は、積み重ねてきた世界観のを一気に崩しかねない障壁となる。
事実、NHKに対する抗議文でも、渋谷氏は「本当にフェスを盛り上げるなら同時発表の祝祭感を作って欲しかった」と求めている。そのほか、抗議文やNHK水戸放送局への依頼メールでは「非常に乱暴」「とてもデリケート」「とても悲しい」「とても残念」「とてもぞんざいな扱い」「凄く時間をかけて」「とても重い気持ち」のように、副詞が多用されており、感情に訴えようとしている印象を受ける。
その反面、NHKなどの報道機関は「速報に値する、信頼に足る情報があれば、報じるのが正義」との立場だ。たとえ物語の途中でも、一刻も早く届けるべきであれば、他者の「お気持ち」よりも、「公共の利益」を優先させるはずだ。参加者や音楽ファンに向けて発信したいロッキンと、地域住民に向けて発信したいNHK(の水戸放送局)では、同じ「伝える」でも内容が大きく異なるのだ。
現実的な落とし所はどこにあった?
ここまで見てきたように、今回の事案は「『ニュースバリュー』の捉え方の違い」「『情報統制』や『忖度』の捉え方の違い」「カルチャー誌と報道機関の『伝え方』の違い」という、3つの論点が、複雑に絡み合った結果、その温度差が明確になったのではないか。それぞれに「正義」がある以上、なかなか落とし所が見つからないだろうなと、筆者はみている。
ただ、これを礎として、今後の対立防止につなげることはできる。常に「異なる正義」を意識し、他者の動きを見越した対応を行う。正義のダイバーシティ(多様性)だ。
たとえば、先に挙げた「報道の正義」を念頭に置いて、もし広報担当者が「確定はしていないが、現段階では最終調整しているところだ」といった返答ではなく、「来年の開催地について、現時点で確定している事実はない」などと返答していたら……そうなると、NHK側もうかつには報道できなくなり、異なる未来が見えていたのではないか。主催者である自分たちはもちろんのこと、関係者をも含めた情報管理の徹底を図る必要はあるが、NHKに解禁時間の統制を求めるより、ハードルは低かったはずだ。
もっとも、本音を隠した、そういった対応がロッキン的に「誠実」かはさておいて……だが。
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