ロッキンvsNHK「リーク騒動」に学ぶ3つの重大論点 カルチャー誌と報道機関は「伝え方」が違う
また、ひたちなか市内を走る、第三セクターの「ひたちなか海浜鉄道」湊線には、終着・阿字ヶ浦駅から国営ひたち海浜公園付近までの延伸計画があるが、国の延伸許可は得ているものの、コロナ禍や物価高によって施工が延期されている。ふたたびロッキンが帰ってくるとなると、延伸計画にもポジティブな影響が出てくるだろう。
こうした事情を鑑みると、もはや「ロッキン再開催」は、ひとつの民間イベントを越えた、ある種の公益性を帯びており、少なくとも茨城ローカル局である水戸放送局の「地方経済ネタ」としては、速報の価値を十分に持っていたと言えるだろう。ちなみに地元紙・茨城新聞も、10日朝に「『ロッキン』再び海浜公園に 2024年へ最終調整 茨城・ひたちなか」と、NHKの後を追う形ながら、正式発表前に報じている。
次に、「情報統制」や「忖度」といった観点から考えてみたい。
・論点その2:「情報統制」や「忖度」の捉え方の違い
今回、渋谷氏は報道のタイミングを公式発表とあわせるよう、NHKへ要望していたという。「公式と同時に発表し、開催を祝ってほしい。僕の望みはそれだけです」と、平易な文章で書かれてはいるものの、「忖度」を求めていると感じる人がいてもおかしくないだろう。
実際、あらゆるジャンルの編集部に、きょうも「情報解禁日時」が指定されたプレスリリースが届いている。とくに視聴率やPV(ページビュー)が期待できる芸能情報では、その傾向が顕著だ。1社だけ抜け駆けしてしまうと、次回から事前情報が与えられなくなるかも——といった不安から、言われるがまま従うメディアも珍しくない。もちろんこの手の事象は、雑誌などの紙媒体にも存在する。
主従関係が強固になった結果、昨今話題になっているジャニーズ問題などの温床となった側面もあるだろう。そうした業界の商慣習に、どこまでお付き合いするか。苦々しく感じている報道関係者もいるはずだ。
そもそも、ニュースサイト編集の経験から言えば、広報担当者から「最終調整」の言葉を引き出した時点で、NHKに分があるはずだと考える。また、渋谷氏はメール内で「リーク報道は迷惑」と述べているが、本来「リーク」というのは、関係者によって情報や機密が漏れる/漏らすことを指す。取材を通じて報道している今回の件は、「リーク」とは呼べないはずだ。
NHK側は、前述の初報記事で、以下のように説明している。
もっとも、関係者から「漏れた」情報を得たうえで、広報に改めて「取材した」結果、ロッキン側が「リーク」と表現した可能性はある。
カルチャー誌と報道機関は「伝え方」が違う
と、ここまで読んで「筆者はNHK擁護なんだな」と思う読者もいるだろうが、ロッキン側の心情も、まったく理解できないわけではなかったりもする。その理由が、今から述べる「カルチャー誌と報道機関の『伝え方』の違い」という3つめの論点だ。
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