校則の"バイト・スマホ禁止"が時代錯誤な理由 無意味なルールが可能性の芽を摘んでいる

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まず、高校からスマホを解禁し、ついで2020年代中に中学にも拡大すべきだと私は考える。小学校については議論が分かれるだろうから、保留しておく。

中学校でも「スマホの電源を切ってカバンに入れて保管しなさい」を続けるのはナンセンスだと私が思うのは、セキュリティ上も好ましくないからだ。

地震や火災が起きたり津波が襲ってきたりしたときに、生徒は、普段の避難訓練通りに身ひとつで校庭や体育館に避難する。本当の災害であった場合、それだとスマホが教室の机の脇かロッカーに残されることになる。これでは、避難後に家族と連絡がとれない。携帯電話を不携帯にするのは、むしろ問題なのだ。

それなら、授業中も電源を切らないで100%授業に利用する方向に舵を切るべきだろう。

課題があるとすれば、個人のスマホを学校で壊したり、友達に壊されたりしたときの対応だ。最新機種を盗んだり、盗まれたりすることもあるかもしれない。

そうした場合、高校生なら自己責任の範囲としていいが、中学生では無理がある。実際、GIGA端末(GIGAスクール構想で配布が加速したタブレットやパソコン)を投げて壊した小学生もいた。でも、国の政策で配ったものは、国や自治体が保証する。壊した子や先生のせいにはならない。

一方、現代の子どもたちにとって、もはやスマホはカラダの一部である。いや、脳とつながった存在だとも言えよう。

スマホの向こうに広がる地球規模のクラウドネットワークは、やがて人間と融合する存在かもしれない。ホモサピエンスがネットワークと合体した姿にメタモルフォーゼ(変態)することを前提とするなら、小学生でももはや学校での使用を禁止すべきではないという意見もあるだろう。

少なくとも高校では「スマホの電源を切ってカバンに入れて保管しなさい」は、もはや時代錯誤でウソくさい!

前例を変えるのは大変だが…

こうした校則や暗黙のルールについては、変更せず現状維持の方が手間がかからないし、コストも安い。

保護者も知らないと思うが、例えば運動会の競技ひとつ、前例を変えるのは大変なのだ。

運動会では、どの学校にも数十ページの演技進行マニュアルがあり、組体操を止めて大縄跳びにする場合、その競技の内容だけでなく、前後の整列の仕方から、入場退場、応援のあり方までを新たに規定しなくてはならない。

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進行に間違いがあってはいけないからだ。放送係にマイクで何をしゃべらせるかも決めなくてはいけない。

だから、学校という複雑で膨大なコンテンツを抱えるシステムでは、「正解主義」「前例主義」「事勿(なか)れ主義」になる。何しろそのまま維持するのさえ大変なのだから。

しかし、戦後50年続けてきたシステムをごまかしごまかし70年以上もやり続けてしまった。ついにほうぼうに綻(ほころ)びが生じ我慢の限界に達している、というのが私の見立てだ。

大方の読者も賛同してくれるのではないだろうか。実は大方の教員たちも同様に。

藤原 和博 教育改革実践家、「朝礼だけの学校」校長

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ふじはら かずひろ / Kazuhiro Fujihara

元杉並区立和田中学校校長。元リクルート社フェロー。『藤原和博の必ず食える1%の人になる方法』(東洋経済新報社)など著書多数。講演会は1200回、動員数20万人を超える人気講師としても活躍中。

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