室町幕府では、将軍そのものが暗殺される事件だけでなく応仁の乱のような大乱もあったものの、建前上は幕府の権力を維持する形が取られました。朝廷に対して武家の政権を維持する目的があったからです。
しかし、信長は義昭の影響力を完全には排除できなかったため、禁断の朝廷の力を利用したのです。そして、その対策をとったのは、そもそも義昭のもとで幕府再興を誓った明智光秀でした。
信長の指示は光秀にとって、もはや既存の社会構造の破壊であり、その意味では信長を倒せば朝廷、さらには義昭の支持も得られると考えても不思議ではありませんし、もはやそのほうが理にかなっていると思ったのではないでしょうか。
大河ドラマ『麒麟がくる』では、信長から義昭の抹殺を命じられたことが謀反の最大の理由に挙げられていました。実際にそういった指示が信長から光秀にあったかどうかは別にして、反信長勢力からすれば信長のほうが謀反を起こしているように捉えられていたでしょう。
結局、本能寺の変として後世に残る光秀の謀反は成功しなかったため、室町幕府の権威の復活はしませんでした。
残ったのは朝廷を利用して権力を握るという新しいシステムのみ。これを最大限利用したのが、信長の後継者となる羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉です。
彼は「関白」という朝廷の官位をもって将軍になりかわります。
そして、その過程をつぶさに見ていた家康は、再び武家社会による政権構造に戻すことを考えるようになるのです。
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