設楽原で武田軍を殲滅した信長の恐るべき戦略眼 最強の騎馬を無効化し最新兵器で戦を変えた異才

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NHK大河ドラマ『どうする家康』 岡田准一 織田信長
戦国最強とも謳われる騎馬軍を、信長はどうやって迎え撃ったのでしょうか(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)
NHK大河ドラマ『どうする家康』第21回「長篠を救え!」では、武田軍に囲まれ窮地に陥った長篠城に信長が援軍を出すことを決めるまでのプロセスと、それを岡崎体育さん演じる鳥居強右衛門が命を捨てて主君に伝える姿が話題となりました。第22回「設楽原の戦い」では、3万の大軍となった織田・徳川軍と1万5千の武田軍がどう戦うのかが描かれます。最新兵器の鉄砲と、鍛え上げられた騎兵の戦いで有名な「長篠の戦い」の舞台裏について『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』の著者、眞邊明人氏が解説します。

設楽原の決戦にはどう至ったのか

織田・徳川と対立を深めていた武田勝頼は、父・信玄の死の1年後となる1574年から活発に動き始めます。まずは信長の領土である東美濃に兵を出し、さらに家康の領土である遠江にも侵攻しました。

東美濃侵攻では明知城を、遠江侵攻では高天神城を落とし、信玄を亡くしても武田の力は衰えていないことを天下に示します。そして勝頼は本格的に、家康が支配する三河と遠江の奪取に動き出しました。

勝頼は当初、家康の嫡男が守る岡崎城に直接攻め込む作戦だったようです。岡崎城に内通者をつくってクーデターを起こさせ、そこを一気に攻めるという内容でした。しかし第20回「岡崎クーデター」でも描かれたように、内通者の大賀弥四郎は事前に処刑され、長篠方面からの侵攻に変更したのだと思われます。

この長篠を守っていたのが、奥平信昌です。信昌はこの侵攻の2年前に武田方から徳川に寝返っていました。勝頼は、この長篠城を1万5千の大軍で攻めます。勝頼の頭には先に成功した高天神城攻略がありました。

高天神城の救援には信長は間に合わず、徳川家は総力をあげても1万ほど。勝頼は徳川単体なら敵ではないと考え、高天神城を攻略したときと同じように長篠城を攻めました。

しかし、ここで勝頼に誤算が生じます。

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