まず長篠城が簡単に落ちなかったことが挙げられます。守将である奥平信昌は武田を裏切った経緯もあり、まさに必死の抵抗を続けました。そして最大の誤算は、勝頼が動けまいとタカをくくっていた信長が大軍を率いて救援に来たことです。これに徳川勢8千を加え長篠救援に向かいました。
勝頼の欠点は父・信玄と比べ格段に外交感覚が鈍かったことです。勝頼は、こののちも致命的な外交ミスを犯すのですが、長篠においても信長の動きを十分に把握せず短絡的な攻勢に出ました。
信長の動きを知った勝頼は慌てて長篠城を落とそうとするのですが、第21回「長篠を救え!」で話題となった鳥居強右衛門の活躍もあり、織田・徳川の援軍が到着するまで持ちこたえてしまいます。ここでの判断ミスも勝頼の若さを示すものでした。
信長は圧勝するための戦略を構築
長篠城を包囲する武田軍に圧倒的な兵力で迫った織田・徳川連合軍ですが、信長は慎重な策を取ります。そもそも信長は、武田軍と本格的に交戦した経験はありません。信長の脳裏にあるのは、戦上手の家康があっけなく敗れた三方ヶ原の戦いです。
武田軍は、信玄は亡くとも山県昌景や馬場信春ら子飼いの武将は皆健在でした。万が一、この戦いに敗れれば信長の威信にも傷がつき、場合によっては、せっかく切り崩した信長包囲網が復活するかもしれません。
信長は負けないための戦術をとります。それは、おそらく日本初となる野戦築城です。
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