織田・徳川のあまりにも幼いふたりの政略結婚
織田信長の長女として生を受けた五徳姫は、徳川家康の長男・信康に8歳で嫁ぐことになります。信康とは同い年で、これはいわゆる政略結婚です。
桶狭間の戦いで劇的な勝利を納めた信長と、今川からの独立を果たし三河の制圧を目指す家康は、ともに東西の敵を防ぐ戦略的価値が高い存在だったため、この同盟はお互いにとって重大なものでした。当時の戦国大名は同盟にあたり婚姻関係を結ぶことが常だったため、五徳姫と信康の婚姻は当然の流れと言えるでしょう。
問題は、このふたりがまだ8歳という年齢だったことです。
政略結婚は多くの場合、いわゆる婚約という形でふたりが結婚適齢期に近づくまで待つのですが、信長は、まだ8歳の五徳姫を岡崎に送りました。たしかに五徳姫が嫡男を授かれば、織田の血をひく男子が徳川家を継ぐことになります。その意味は大きいのですが、ふたりはまだ8歳。すぐに子ができるわけではありません。それまでは人質に近い意味合いの婚姻ということになります。
つまり信長は、娘を人質に出してまで家康との同盟を重視していたということです。
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