「日比谷から4浪東大」彼が手放した優等生の呪縛 ギリギリで度々不合格、それでも目指した理由

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「東大受験の知識は全部詰め込んでいるので、回答を速く出せる状態にすることを優先しました」と語る彼は、去年までと同じ北九州予備校に通いながらも、早く帰宅し、日光を浴びて、運動をして、メンタルのコントロールに努めました。

夏にB判定で落ち込んだ東大模試の判定も、秋にはA判定が出ました。センター試験本番も自己最高の94%と、すべてが順調でした。

「この年のプランは理想的でした。いちばんうまくできたし、今年こそは受かるだろうなという確信に近い思いで受けに行きました」

しかし、勝負の神様は残酷です。結局この年は前年よりも合格最低点が開き、22点差で落ちてしまったのです。

「今年は数学の問題に自信があったので、感触的にも受かると思っていました。でも、60点くらい取れたと思っていた数学で29点しか取れていなかったんです。ここで緊張の糸が切れました。時間無制限の中でやれることをすべてやったのに、本番だけうまくいかなくて『あぁ、もう無理だ』と思いました。ここで僕は、初めて一度、東大に行くことを諦めたんです

結局、1浪目のときに一度受かった一橋大学の経済学部に後期試験で合格し、3浪の年齢で進学することになります。

4浪目をすぐに決断しなかった

「1浪目の合格のときと同じで、気持ちの切り替えができなかった」と語る杉山さん。

しかし、この年に彼の人生を大きく変える出来事が起こります。コロナの流行による、対面授業の延期でした。

「気持ちの整理がつくまでゆっくり家にいる時間と、家で授業に出れる環境があったおかげで、仮面浪人も、浪人せず一橋に通う決意も、どちらもしないまま過ごせました。この状況がなければ、きっと、気持ちの整理ができずに大学に通えなかったと思います」

「ニートに近い状態で1年を過ごしました」と語った杉山さんはゆっくりした時間を過ごしたうえで、もう一度、12月に仮面浪人を決意します。

「東大に行きたいという気持ちが結局変わらなかったんです。もう一回だけ、東大を受けようと思って自分で受験費用を全額出して受験しました。遊びのつもりで……それくらいの軽い気持ちでした」

この年受験した共通テストは90%。前年と比べても、基本的な古文単語や英熟語を詰め込んだり、数学も1日に2〜3問をじっくり考えたりするだけという負荷の軽い勉強を続け、あとは好きなことをしたり、アルバイトで体を動かしたりして過ごしました。

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