「日比谷から4浪東大」彼が手放した優等生の呪縛 ギリギリで度々不合格、それでも目指した理由

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「実は、中学1年生のときからずっと東大に入りたいというのが心の中にあったんです。実家に『天才たちのメッセージ 東大理III』(東大受験者の合格体験記)という本の初版があり、それを読んでいたことがきっかけでした。

今でも続くシリーズ本ですが、初期のものはまだ編集が入っていなくて、努力して合格を勝ち取った人たちの生々しい声が、口語体のままスッと自分の中に入ってきたんです。自分は天才じゃないとわかっていたので、努力の天才である彼らみたいになりたいと思っていました。それなのに中学・高校と入りたいところに行けなかったので、大学受験では絶対に妥協したくないという想いがありました」

こうして1浪目には北九州予備校の東京校に通うことに決めて、みっちり勉強を始めます。

7時40分に登校し、予備校が閉まる21時40分まで勉強したこの1年の経験が、「自分の心の支えになっている」と杉山さんが語るように、このときの努力は成績にも表れます。

「夏に東大模試を2つ受けたのですが、どちらも偏差値は45でE判定でした。でも、秋の東大模試ではうち1つが偏差値60を超えて、A判定になったんです。何かの間違いじゃないかと思ってびっくりしました」

気が緩んでしまった結果…

めきめき勉強をして力をつけた杉山さんは、センター試験でも自己ベストである89%を叩き出し、ついに東大も射程圏内に入ったと思っていました。しかし、ここで思わぬ気の緩みが足を引っ張ることになります。それは、東大よりだいぶ早い段階で受けた大学の合格の知らせでした。

「2次試験が終わった後に防衛医科大学に合格したという知らせをもらいました。嬉しかったのですが、それで気が緩んでしまって、勉強時間が減ってしまいました。以前は休憩時間を除いても11時間勉強をしていたのですが、8時間くらいになってしまったんです。ほかの東大受験生より明らかに少なかったですね」

結果この年も東大には40点足りずに落ちてしまいました。後期試験では一橋大学の経済学部を受験して合格したものの、入学を辞退して2浪を決意します。

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