前の年は模試で偏差値40台だったこっしーさんは、この年偏差値60以上を取り続け、最高で69.4という偏差値をたたき出したこともあったそうです。
早稲田の名前を冠した「早大プレ」模試でも人間科学部でB判定を取るなど、順調に成績を伸ばしました。しかし、結果的に彼はこの年、早稲田の受験を諦めます。
「英語の偏差値が56しかなかったんです。国語と政治経済の成績がずば抜けていたから高い偏差値はでましたけど、早稲田の英語は解けませんでした」
「この年齢だと就職できない」と悲観的に
この年は、結局、法政大学と國學院大學を受験し、ともに合格します。
両親から「もう浪人はできない」と言われたこっしーさんは、法政大学文学部に22歳で進学することを決断します。彼のように学力がほぼゼロの状態から法政大学に入れたことは快挙といってもいい出来事です。しかし、大学に入った本人は将来を悲観していました。
「この年齢だと就職できないと思っていたので、法科大学院に入って弁護士になるというルートを目指しました。法政は法学部も受けたのですが落ちてしまったので、まずは2年次に法学部に転部しようと思いました。
ですが、その時期に自身が精神科に行ったところ、ASD(自閉スペクトラム症)だと診断されて病んでしまって……。両親に対する恨みも芽生えて勉強が何も手につかなくなり、転部試験で落ちてしまったのです。
3年生の夏には信州大学経済学部(現:経法学部)経済システム法学科の編入試験も受けたのですが、そちらも不合格になってしまいました。翌年以降に他大の編入試験を受けるため、ほかの大学への3年次編入試験を受けられる条件である62単位を取得して、3年生の9月に退学しました」
こうしてこっしーさんは、編入試験で法学部に進むことに人生を賭ける決断をします。
24歳で大学を中退したこっしーさん。彼はそれまでの試験で自分で納得がいく結果を残せなかった理由を「教材のやり込みが浅かった」と反省します。
「うわべの暗記しかしてなかったので、角度を変えた問題を出されても対応ができなかったのです。参考書に書いていない角度から出されても、わかるまでやるのが本当の勉強だと、気づけました」
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