徳川家康「泣き顔」晒して天下取りに至った理由 トップが気弱で臆病であることのメリットは?

拡大
縮小

はたまた、第9回。家康が、家臣の反対にもかかわらず、一向宗から年貢を取り立て、それが元で勃発した三河一揆。寺の門徒兵らは、「南無阿弥陀仏」を掲げ、死んでも極楽に行けると、怖いもの知らず。家康の家臣の中にも一向宗の者がおり、寺側に加勢する者もあり。家康側の家臣とて、先が見えない戦に士気は下がる一方。「どうしたいいのかわからぬ……。怖くてしかたがない」と力なくつぶやく家康。

さらに、第17回。元亀三(1572)年の晩秋。武田信玄との戦い。信長が浅井・朝倉軍を倒して駆け付けるまで(このとき、家康は織田と同盟関係)、家康らは浜松城に籠城し、武田軍と戦うという算段。城攻めに疲れ果てた武田軍を織田軍が一気に攻め落とす。こうした作戦であったはずが、武田軍は浜松城を素通り。籠城であれば、勝ち目があっても、野戦をすれば、十に九つは負ける。しかし、素通りを許せば、民の信頼を失う。家康に家臣らの視線が集まる。眉間と鼻の周りにしわを寄せ、目をぎゅっと閉じ、歯を食いしばる。そんな苦悩と苦痛の様子の家康。武田軍が不案内な地形を利用すれば勝機があるのでは、という案が浮上し、戦を決意する。

恐怖表情に特徴的なカギ型眉を一瞬見せた後、深呼吸し目を閉じる家康。ゆっくり口を開き……

「戦の勝ち負けは多勢無勢で決まるものではない!天が決めるんじゃ!直ちに武田を追い、後ろから追い落とす!出陣じゃ!」

眉間にしわを寄せ、目をくわっと見開き、表情の中に決意が込められるものの、恐怖表情が一瞬垣間見られます。こうして、三方ヶ原の合戦が始まります。

『徳川家康三方ヶ原戦役画像』の解釈は、いかに?

ところで、この三方ヶ原の戦いに関連して、『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)があります(下画像)。通称「しかみ像」とも呼ばれるこの家康像は、口角が引き下げられ、唇が水平に引かれ、上まぶたが引き上げられ、眉がカギ型となる表情をしています。表情分析の知見からすると、これは、悲しみ・驚き・恐怖の混合表情です。

しかみ像
「しかみ像」には複数の感情が混在している(写真:時事通信)

この図の解釈に通説と新説があります。三方ヶ原の合戦において、大敗した家康が自己の慢心をいさめるために図を描かせたという戦役図論。もう一つは、合戦当時ではなく、後世に想像によって描かれた神格化された家康像という礼拝図論があります。

次ページ泣き顔で周囲の助けを得る
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT