「父の最終学歴は夜間高校で、田舎の価値観ゆえか『女は中学を出たら働けばいい』と言い放たれたこともあります。一方、母は子どもの頃、非常に勉強好きだったのですが、裕福ではない家の4人きょうだいの末娘だったこともあり、高校進学すら叶いませんでした。自身に『学歴』がつかなかったことで、母は相当苦労したらしく、子どもの教育方針をめぐって、両親はよくケンカしていました」
今回、話を聞いた植田真理子さん(仮名・45歳)は中京地方出身。進学できるのがごく一部の男子にしか許されないような地域であり、当時は女子が進学することについて、理解が得られにくい時代でもあったという。
大学進学以前に、高校受験ですら厳しいという状況
植田さん自身は勉強好きだったが、大学進学以前に、高校受験ですら、厳しいルートしか用意されていない現実もあった。
「私立という選択肢はまずありません。また、地元に公立の進学校は2校ありましたが、当時私の故郷の県では、『学校群制度』という入試制度が実施されていました。これは『学校群ごとに合格者が選抜されたのち、その中の1校に振り分けられる』というもので、つまり、公立高校を受験、合格しても、どの学校に振り分けられるのか自分で選べなかったんです」
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