谷口様、あなた方ご夫婦のすれ違いを聞いていますと、もはや意地に近い争いになっているように感じます。
「バカ決定」だとか「残念な子ども」など、彼のご長女に対する日本語は大いに問題があり、子どもの人格形成と将来の姉妹関係に影響しないか私も心配です。このような父親の“子どもへのひどい認識”が子どもに伝わらないよう、夫婦間で十分コミュケーションをとってください。
そして少し気になったのですが、(このような意味でおっしゃったのではないと思うのですが)「生まれたときからおとなしくよく笑う」生後6か月の赤ちゃんを、「悪くいえば大人に都合のいい赤ちゃん」と表現するのは、とんでもないことです。
生後6か月です。大人に都合よく立ち回るすべをまだ知りません。世の中には重い疾患を持って生まれたり、生後間もないのに大手術を繰り返したり(そういった赤ちゃんがダメだといっているのではなく、チャレンジが多い、という中立的な意味で言っています)、原因不明で食が細くミルクを飲んでくれず、ピーピー泣いてばかりの赤ちゃんもたくさんいます。
おとなしくよく笑う元気な赤ちゃんの、なんとありがたいことか想像してみてください。逆立ちしても、「悪く」みえる余地などありません。ご夫婦それぞれの視線が招く子どもさんたちへの影響が「危うし!」です。母国語なり英語なりの言語教育よりも、親からの子どもへの視線のほうが、途方もなく重要だと強調しておきたいと思います。
“英語か母国語の選択”ではなく“英語も母国語も大切”
移民大国・カナダのバンクーバーで教員をしている娘の話によりますと、英語ができない移民1世の親を、その子どもがバカにする傾向がみられるそうです。移民1世と、母国語が話せない移民2世以降の世代間の関係は、子どもによっては言語問題に留まらない深刻な問題になるのです。
これには、私にも苦い思い出があります。友だちの前で、流暢に日本語を操れない在日韓国人1世の私の母を、一時期、恥ずかしいと思ったことがありました。その代り母は、母国語である韓国語は流暢に話せたのです。今から思えば立派なバイリンガルで、誰と比べても引けを取らない自慢の母だったのに、経験が浅い子どもが、一時期陥りやすい落とし穴に私もハマったのでした。あのときの母への申し訳なさは、今も消えることはありませんが、親子の第1言語が共通であることの意味を、いろいろ考えさせられます。
ご長女の英語漬けを徹底することが、母国語習得の妨げになるとはまったく思いませんが、(実際に幼少期だからこそ、複数の言語を同時に習得してもあまりあるほど、人間の脳には大きな可能性が秘められています)母国語を同時に教える大切さは、言うまでもないでしょう。今現在の谷口家の問題は、ご長女の母国語の習得に危険信号が灯っていることです。これは言語の問題だけに留まりません。
その分、英語を学んでいるのだから、日本語に相応の能力を求めるのは早計だという考え方もありますが、2歳半なら2歳半なりの母国語で、さまざまなことを学び意思表現できることが、豊かな感情を育み人格を形成していくうえでは欠かせない要件だと思われます。心の発達には、積み重ねが重要ですからね。
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