この目的には少なくとも合致する論を展開しなければならない。そういう制約の中、一つのアプローチとしては、歩みを進める男の姿を、自らの置かれた現状とダブらせるという手法があろう。だが、駅構内は暗いイメージであり、ここの処理が難しい。構内の暗さをそのまま表現しただけでは、受験生の心の様相がそのまま吐露されたのではないかと疑われてしまう。
将来医療の現場で働く以上、ポジティブ・ネガティブで言えば、この男性の存在をポジティブに捉えるのが望ましいであろう。受験生の等身大の答案であれば、医学の道を志す自らの気持ちをこの男性の行動とダブらせてみればよい。受験勉強にしろ、医学を修得するにしろ、学ぶことは階段を一つひとつ上ることであるから、関連は見い出せる。
医師に必要な「観察力」と「大局的視点」
だが、この素材で難なく800字を埋めることが可能か。難しいであろう。そこで、写真をよく見つめてみる。よく観察すると、男性のコートの右手側がやや上がっているように見える。推測するに、この男性は携帯かスマホをいじりながら駅構内の階段を上っているのである。どこかの心ある人が心の安らぎにと階段の手すりに結んでいった赤い風船の美しさに気づくことなく、階段を上っていったかもしれない。すると、もうひとつの小論文の方向性として、こんな解を導ける。
こういった結論に持ち込む流れで書くのが、本問のやや高度なアプローチだ。巷に溢れる社会現象を鵜呑みにするのではなく距離を置いて見つめている点、また医師に必要な鋭い観察眼・推理力が見て取れる点で印象がいい。また、この種の大きな象徴的概念(文明の功罪)を枠組みとして提示できれば、医師に必要な大局的視点も充足しているということになる。
余談だが、本問に接し個人的に思い起こされたことが一つある。それは、こんなシーンだった。
ある日の夕方。買い物帰りだろうか、荷物を大量に抱えた若い母親と幼年の男の子に道で遭遇した。どうしたことか不意に男の子が路上にしゃがみこんだ。縁石の内側の草叢に何か動くものを発見したようだ。昆虫の類であろう。男の子は動く生物を観察し始めた。しかし、帰宅を急ぐ母親はそれを許さず、男の子は一喝され手を引っ張られ、すごすごとその場を後にした。
母親の気持ちも分からないではない。また、夕刻の多忙な時間帯を考慮すると無理もない話である。だが、何故か虚しさが漂い、疑問がわいたのも事実である。この子の自然な好奇心は今後も母親に受容されることはないのだろうか。
このシチュエーションは例にすぎないが、こういった類の小論文には、親からどのような家庭教育を受けたのかを看破する仕掛けがあると言える。単に択一式の勉強ができるだけでは通りにくい、まさに学生の「人間力」を問う方向に、医学部入試全体がシフトしてきているのだ。
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