「男はつらいよ」の地方ロケで抱き続けた疑問 山田洋次監督が語る「男はつらいよ」の世界

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山田洋次監督
山田洋次監督は、「21世紀というのは、地域社会が失われていく歴史でした」と語った(撮影:尾形文繁)
初公開から半世紀を経ても人気が衰えない映画『男はつらいよ』シリーズ。時代が変わっても人気が衰えない理由は何か。観客は、寅さんに何を見い出しているのか。原作者の山田洋次監督(91歳)に話を聞いた。3回シリーズの第2回目(第1回第3回)。

――シリーズの後半からは、過疎化が進む地方の現実が映し出されます。伊豆諸島の式根島(36作『男はつらいよ 柴又より愛を込めて』1985年公開)や北海道の知床(38作『男はつらいよ 知床慕情』1987年公開)、宮崎の日南市(45作『男はつらいよ 寅次郎の青春』1992年公開)など、人口流出が進む僻地で暮らす人々の、切なくも温かい人間ドラマが描かれます。そうした現実を舞台に選んだのはどうしてでしょうか。

意図的に選んだというより、必然的にそうなっちゃったんです。

寅は行商をやっているから、全国のいろんな町で商売をやる。お宮でやる場合もあるけど、賑やかな商店街でやることが多いんですね。

ところが1980年代に入ったあたりから、地方の賑やかな通りがめっきり少なくなってきた。かつて大勢の人が行き交っていた商店街がシャッター通りに姿を変えていったのです。

ロケは大変でした。寅が商売をやっている背景がシャッター通りでは画にならないでしょう。商店街の方々に頼み込んで、せめてシャッターだけでも開けてもらえないか、店の飾り付けは僕たちスタッフがやるから、なんてお願いしたことが何回かありました。

そうした地方の惨状が作品にも投影されるようになったということでしょう。若者がいなくなり、高齢者が人口の大半を占める町を寅が旅するようになった。

地方から賑わいが消えたのは当たり前

――2000年以降の新自由主義的な経済政策の中で、バスや電車、郵便局といった地方の人々の暮らしに不可欠な公共インフラが市場原理で測られるようになりました。

小泉内閣あたりからでしょうか。地方の小さなお店がどんどん潰れてしまった。大型のスーパーやショッピングモールが、それまで小さなお店が細々とあげていた利益を根こそぎ奪っていった。商店街が消え、地方から賑わいが消えたのは当たり前でしょう。

寅が育った1950年代は八百屋、魚屋、肉屋、玩具屋、小物屋といった小さなお店がたくさんあった。寅の実家「とらや」も小さな団子屋です。

そうした小さなお店が柴又の人情味のある町を形成していたんです。子どもが買い物にいくとお店の人が「おりこうだね」といっておまけしてくれたり、お小遣いをくれたりした。「おばあちゃんの病気はその後どう?」と訊かれることもあった。店主と顧客は3代以上にわたってつながっていたんですね。

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