「男はつらいよ」の地方ロケで抱き続けた疑問 山田洋次監督が語る「男はつらいよ」の世界

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詩人の故田村隆一さんが「町は3代経たないと形成されない」と言っていました。町が形成されるのは空間も必要だけれど、時間も要るんだと。3代が経ち、「お前のおばあちゃんは美人だったんだぞ」という会話が成り立つような世界。それが本当の町だと言うんですね。

そうした町を私たちは失ってきた。21世紀というのは、地域社会が失われていく歴史でした。それで私たちは、日本人は、幸せになれたのでしょうか。僕はいつも、そんな疑問を抱きながらロケ地を回っていました。

――寅さんは、その地で暮らす人々を励ましていたように見えます。

そう。慰めて、「これからも地元で頑張ってよ」と励ましながら歩いていた。

「寅さんの物語」はなぜ成立するのか

山田洋次(やまだ・ようじ)/1931年生まれ、大阪府出身。東京大学法学部卒。同年、助監督として松竹に入社。1961年『二階の他人』で監督デビュー。1969年、原作・脚本・監督を手掛けた『男はつらいよ』公開。以後、28年間にわたって続く国民的ヒット映画シリーズとなる。他の代表作として『家族』(1970年)、『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)、『学校』(1993年)、『たそがれ清兵衛』(2002年)、『家族はつらいよ』(2016)など。2023年9月には、90本目の監督作『こんにちは、母さん』が全国公開予定。

――第35話『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』(1985年公開)では長崎の五島列島で一人暮らしをするおばあちゃんが倒れたところを寅さんと兄弟分のポンシュウが助け、おばあちゃんは最期の夜を3人で賑やかに過ごしました。寅さんのような人が各地にいたら「孤独死」する人は減るなぁと思ったりします。

現実にはいないんです。だから寅の物語は成立する。

こんな人がいたらいいな、楽しいだろうなあと観客が思うところの背景には、現実にはいないということがある。

だからといって僕は「現実はこんなに過酷なんだぞ」ということを観客に教えるみたいな映画を作ろうとは思わない。みんな現実の過酷さはわかっているのだから。

寅みたいな男に最期に会えて「ああ、楽しかったな」「会えてよかったな」と思いながらおばあちゃんは息を引き取った。それは、いわばメルヘンの世界。そういう物語をみながら、観客は、ふと、寅さんがいない現実に引き戻される。

――50作目『男はつらいよ お帰り寅さん』(2019年公開)では満男の元恋人・泉の父親の身元引き受けを誰がやるのかを巡って泉と母親が口論になるシーンがあります。今、世の中では誰からも引き取られない遺骨が増え、「無縁社会」と呼ばれたりもします。

そうみたいですね。家族や肉親に対しても冷たくなっているということなんでしょうけれど、どうすれば回復できるのか。

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