だが、太宰治の文章は、菊池寛への悪口と石川達三への皮肉だけにとどまらない。そう、冒頭にも挙げた川端康成への批判が載っているのだ。ここでいう「あなた」は川端のことだ。
川端の選評はつまり「作者の生活が不道徳的だったから、文学者としての才能が素直に出てなかった感があるな~(生活をまっとうに立て直して出直してきてね)」という意味である。
川端康成の選評に深く傷ついた太宰治
「生活に厭な雲」とは何か。実はこのころの太宰、心中未遂を繰り返す男として有名だった。彼は東京大学に在籍中、井伏鱒二の弟子になるも、20歳のときに町の娘と心中未遂していた。
さらに同じ年にもう一度1人で自殺未遂。21歳のときにカフェで働く女性と心中未遂。26歳でひとり自殺未遂。……と4度の自殺未遂を繰り返していた。多すぎである。それはうわさにもなる。
しかもこの芥川賞候補作となった『逆行』。冒頭の章「蝶蝶」は明らかに作者の顔が浮かんでくるような作品なのだ。なんせ書き出しが、
「老人ではなかった。二十五歳を越しただけであった。けれどもやはり老人であった。ふつうの人の一年一年を、この老人はたっぷり三倍三倍にして暮したのである。二度、自殺をし損った。そのうちの一度は情死であった」
である。25歳を超した、自殺をし損なった、男。……さすがに作者の顔を思い浮かべるなというほうが無理というもんだ。ちょっと『人間失格』を彷彿とさせるような私小説風の書きだしである。
川端康成はこの作品に対し、太宰治のただれた生活が見える感じが嫌だったらしい。川端は「いやあ、ちょっと生活が不穏すぎて俺の好みじゃない、嫌な感じがした」という選評を寄せる。
しかし、太宰はその選評に深く傷ついたらしい。というのも過去、太宰は「川端先生なら俺の作品をわかってくれる!」と思って、自分の小説を送り付けたこともあった。まだデビュー前なのに、すごい自信だが。しかし実際の川端康成の評価はこれだった。そりゃ尊敬も一周まわって「刺す。」という言葉になってしまう。
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