太宰治、川端康成を「刺す」と怒った"愛憎劇"の真相 日本文学界屈指のダメ男が物騒な手紙を送った背景

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だが、太宰治の文章は、菊池寛への悪口と石川達三への皮肉だけにとどまらない。そう、冒頭にも挙げた川端康成への批判が載っているのだ。ここでいう「あなた」は川端のことだ。

あなたは文藝春秋九月号に私への悪口を書いて居られる。「前略。――なるほど、道化の華の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった。」
おたがいに下手な嘘はつかないことにしよう。私はあなたの文章を本屋の店頭で読み、たいへん不愉快であった。これでみると、まるであなたひとりで芥川賞をきめたように思われます。これは、あなたの文章ではない。きっと誰かに書かされた文章にちがいない。しかもあなたはそれをあらわに見せつけようと努力さえしている。(太宰治「川端康成へ」)

川端の選評はつまり「作者の生活が不道徳的だったから、文学者としての才能が素直に出てなかった感があるな~(生活をまっとうに立て直して出直してきてね)」という意味である。

川端康成の選評に深く傷ついた太宰治

「生活に厭な雲」とは何か。実はこのころの太宰、心中未遂を繰り返す男として有名だった。彼は東京大学に在籍中、井伏鱒二の弟子になるも、20歳のときに町の娘と心中未遂していた。

さらに同じ年にもう一度1人で自殺未遂。21歳のときにカフェで働く女性と心中未遂。26歳でひとり自殺未遂。……と4度の自殺未遂を繰り返していた。多すぎである。それはうわさにもなる。

しかもこの芥川賞候補作となった『逆行』。冒頭の章「蝶蝶」は明らかに作者の顔が浮かんでくるような作品なのだ。なんせ書き出しが、

「老人ではなかった。二十五歳を越しただけであった。けれどもやはり老人であった。ふつうの人の一年一年を、この老人はたっぷり三倍三倍にして暮したのである。二度、自殺をし損った。そのうちの一度は情死であった」

である。25歳を超した、自殺をし損なった、男。……さすがに作者の顔を思い浮かべるなというほうが無理というもんだ。ちょっと『人間失格』を彷彿とさせるような私小説風の書きだしである。

川端康成はこの作品に対し、太宰治のただれた生活が見える感じが嫌だったらしい。川端は「いやあ、ちょっと生活が不穏すぎて俺の好みじゃない、嫌な感じがした」という選評を寄せる。

しかし、太宰はその選評に深く傷ついたらしい。というのも過去、太宰は「川端先生なら俺の作品をわかってくれる!」と思って、自分の小説を送り付けたこともあった。まだデビュー前なのに、すごい自信だが。しかし実際の川端康成の評価はこれだった。そりゃ尊敬も一周まわって「刺す。」という言葉になってしまう。

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