ちなみにこの後、太宰の作品は、第2回芥川賞にはノミネートすらされなかった。そして第3回芥川賞選考前のタイミングで、太宰は自らデビュー単行本『晩年』を川端康成へ郵送した。
「何卒私に与へて下さい。一点の駈け引きございませぬ。深き敬意と秘めに秘めたる血族感とが、右の懇願の言葉を発っせしむる様でございます。(中略)早く、早く、私を見殺しにしないで下さい。きっとよい仕事できます」
という手紙まで、自らつけて。
川端康成は太宰治の作家人生の原点
芥川賞を私にください! そんな手紙をつけて川端に自分のデビュー作を送る太宰は、『晩年』を遺書のつもりで書いたという。が、結局『晩年』は芥川賞を受賞せず、太宰は生涯、芥川賞に選ばれることはなかった。
その出来事から13年間。太宰治という作家の、怒涛の執筆人生が幕を開ける。『走れメロス』も『人間失格』も、このときにはまだ影も形もなかった。だとすれば、彼の作家人生は、川端康成に「俺のこと、わかってるんでしょ!? 芥川賞ちょうだい!」と叫んだところから生まれていたのだ。
太宰治という作家の特異な人生は、川端康成に酷評されたところから、始まったのである。
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