結婚を考える年齢になっても「源氏物語」一色
「源氏物語を読みたすぎて仏を彫り参拝する」「源氏物語を一気読みするのが幸せすぎる」「源氏物語のヒロインにいつかなれるはずだと夢見る」など、ここまでの連載で『更級日記』作者・菅原孝標女の文学少女オタクっぷりを見てきた。しかし彼女もお年ごろになり、結婚などを考える年齢になる。だが相変わらず彼女の思考は『源氏物語』一色であった。
かやうにそこはかなきことを思つづくるを役にて、物詣でをわづかにしても、はかばかしく、人のやうならむとも念ぜられず。このごろの世の人は十七八よりこそ経よみ、おこなひもすれ、さること思ひかけられず。
からうじて思ひよることは、「いみじくやむごとなく、かたち有様、物語にある光源氏などのやうにおはせむ人を、年に一たびにても通はしたてまつりて、浮舟の女君のやうに、山里にかくし据ゑられて、花、紅葉、月、雪をながめて、いと心ぼそげにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめ」とばかり思つづけ、あらましごとにもおぼえけり。
※以下、原文はすべて『新編 日本古典文学全集26・和泉式部日記/紫式部日記/更級日記/讃岐典侍日記』(犬養廉ほか訳注、小学館、1994年)
<意訳>こんなふうに私の少女時代は、どうでもいいことばかり考えて過ぎていった。たまに寺社へ参拝しに行っても、「まっとうな普通の人生を歩みたい」なんて祈ったことがなかった。最近の子は、17~18歳になるとお経を読み、仏道修行に励むのが普通らしい。が、私はその歳になってもまったくその気にならなかった。
かろうじて考えることといえば、
「すごく身分が高くて、顔がよくて、例えるなら『源氏物語』に出てくる光源氏みたいな方……。そんな男性が、私のところに年に1回くらい通ってくれないかな~!! そのころ私は『源氏物語』の浮舟みたいに、山里で隠されているの。そして花や紅葉、月や雪をぼうっと眺めては、なんだか心細い心地になる……で、彼が贈ってくれるお手紙なんかをたまに楽しみにしては日々暮らしているのよお」
なんて妄想ばかりしていた。ていうか、それが私の当時の将来設計だったのだ。
相変わらずブレない『源氏物語』愛である。しかし将来設計が「顔のいい男性に年に1回通ってもらい、それ以外は田舎で自然に囲まれながらぼーっとする」なところが、今も昔も変わらないオタクっぽさを感じてしまう。
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