妄想の将来設計を立てるなら、もう少し都会で華やかに暮らすとか宮中で見初められるとか考えてもいいはずなのに、よりにもよって「浮舟みたいに山奥に隠される美女になりたい!」である。
ヒロインを夢見るわりに、そこまで熱心に恋愛したいわけじゃないんだね……男性と会うのは年に1回でいいんだね……と笑ってしまう。
いきなり宮中で働くことに
さて、そんな夢見る文学少女だった彼女も年齢を重ねる。ある日親から持ち出されたのは、彼女にとって青天の霹靂の事件だった。『源氏物語』オタクだった彼女は、いきなり、宮中で働くことになるのだ。
きこしめすゆかりある所に「なにとなくつれづれに心ぼそくてあらむよりは」と召すを、古代の親は、宮仕人はいと憂きことなりと思ひて過ぐさするを、「今の世の人は、さのみこそは出でたて。さてもおのづからよきためしもあり。さてもこころみよ」といふ人々ありて、しぶしぶに、出だしたてらる。
まづ一夜参る。菊の濃く薄き八つばかりに、濃き掻練を上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに、行き通ふ類、親族などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、うつつともおぼえで、暁にはまかでぬ。
里びたる心地には、なかなか、定まりたらむ里住みよりは、をかしきことをも見聞きて、心もなぐさみやせむと思おりをりありしを、いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめれと思へど、いかがせむ。
<意訳>私のことをどこかから聞いた親戚が、「何もせずにぼんやり心細くしてるんだったら、宮仕えに出て、働いてみたら?」と言ってきた。
保守的な親は「この子が働くなんて! 宮仕えなんて、つらいだけですよ」と最初は聞く耳を持たなかった。が、「最近の子はみんな宮中に出るもんですよ、むしろ出仕したほうが自然と幸運が舞い込んできたりしますし。ね、一度やってみてはどうです」と言う人々がいたことで、親はしぶしぶ私を出仕させたのだった。
まず一晩、私は宮中に上がることになった。衣装といえば、蘇芳の濃淡をまぜた菊襲の袿を8枚ほど着て、その上から紅の濃い掻練(かいねり)を重ねるのだ。
これまで、本当に物語のことしか考えてなくて、物語以外の存在なんて、友だちも親戚もいない状態だったのに! 保守的な親に隠れて、月だの花だの眺める以外のこと何にもしたことがなかったのに、そんな私が初めて宮仕えに出るときの心情といったら。何が何だか。ぼーぜんとしていた。現実という実感がなかった。……結果、私は明け方には帰宅してしまった。
世間知らずだった私は「退屈な実家よりも宮中で働いたほうが、面白い話も見聞きできそうだし、テンションも上がるんじゃないかな~」と思っていたころもあった。が、実際は違った。たぶんこれからもっと無理だと思うことや、悲しい気持ちになることがあるんだろう。うう、今さらどうしようもないけど、つらい。
「物語のなかで見ていた宮中の世界も、実際に働いてみたらつらかった」という、現代的な感想を菅原孝標女は日記に書き連ねている。確かに、ろくに友だちも親戚もいなかった、家族のなかだけで暮らしていたお嬢様からすると、人と一緒に寝ることすらつらかったらしい。眠れなくて、泣きながら寝ようとしたという描写も日記にはあり、読んでいると胸が痛む。
そうだよな、コミュ障オタクにはいきなり泊りがけの労働ってつらすぎるよな……と平安時代に行って抱きしめてあげたい心地にもなるというものだ。しかし彼女の宮仕え生活は、そんなに長く続かなかった。彼女にまたしても人生の転機が訪れるのである。
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