『源氏物語』大好きオタク女子の回想
平安時代の『源氏物語』オタク菅原孝標女の日記、『更級日記』。物語に夢中になっていた少女時代から始まり、彼女がアラサーで就職し、結婚するところまでを前回まで見てきた。
「光源氏みたいな男、この世にいるわけがないんだ……」と呆然としつつ、なんとか結婚するに至った菅原孝標女。彼女は結婚生活についてあまり多くを書いていない。しかし出産を経験し、家庭生活にそれなりに労力を割いていたらしい。
40代くらいの菅原孝標女は、自分の人生をこう回想している。
世の中にとにかくに心のみつくすに、宮仕へとても、もとは一筋につかうまつりつがばやいかがあらむ、時々たち出でば、なになるべくもなかめり。
年はややさだ過ぎゆくに、若々しきやうなるも、つきなうおぼえならるるうちに、身の病いと重くなりて、心にまかせて物詣でなどせしこともえせずなりたれば、わくらばのたち出でも絶えて、長らふべき心地もせぬままに、幼き人々を、いかにもいかにも、わがあらむ世に見おくこともがなと、臥し起き思ひ嘆き、たのむ人のよろこびのほどを、心もとなく待ち嘆かるるに、秋になりて待ちいでたるやうなれど、思ひしにはあらず、いとほいなくくちおし。
<意訳>当時、家庭にあれこれ労力を割いていた。もしあの時間、宮中仕事に本腰を入れて打ち込んでいたら……どうなっていただろう。もしかしたら、わりといいところまで出世できたかもしれない。でも実際は、ときどきタイミングが合うときに出仕するだけだった。どうしようもない。
私は年齢を重ね、若作りをして働くような歳でもなくなっていた。そのころ、病気もつらくなってきていた。自由に神社参拝などもとてもできなくなった。たまに出仕することすら、やめてしまったのだ。
長生きする自信なんて、なかった。でも、小さい子どもたちの将来はどうにか見届けたい。私は一日中めそめそ悲しんでいた。ああ、夫の次の赴任先が都になってくれないかな……そうひそかに願っていたが、秋になって任命された場所は、期待通りにはいかなかった。厳しいもんだ。
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