ましてや、目の前で直属の上司がギャグを飛ばしたのに、無表情のままでいる勇気があるだろうか。「『お前、笑わなかったな』と思われるかも」という思考も巡ることだろう。
この実験では、目の前でギャグを飛ばすだけでなく、ギャグを飛ばす様子を録画した映像を見せるという実験も行われている。このパターンでも、「上司」がギャグを飛ばす映像を見せたほうが、笑い声はたくさん起こったという。
つまり、ギャグを飛ばした人が、反応している人の様子を見て、「誰が笑ったのか、誰が笑わなかったのか」を知ることができようと、できまいと、人間というものは、地位や序列に対する配慮に影響されるということだ。
そうなると、上司にとっては、自分のギャグが本当に面白かったから笑いが起きたのか、自分が上司だから、忖度の笑いが起きたのか、正確に測ることはできなくなる。
己を知り、他人の様子を観察する
部下たちの様子をつぶさに観察し、配慮をした上で、ユーモアを用いることが大切だ。認識不足を自覚するのは難しいことだが、周囲からのサインに敏感でなければ、発したユーモアが一線を越えていても、まったく気づかずに取り返しのつかない事態を招く可能性もある。
アメリカのコメディアンであるセス・マイヤーズは、「自分自身が本当に笑っているときと、お世辞で笑っているときの違いに気づく」というヒントを与えている。
自分の笑いの違いに敏感になっておくと、他人の笑いの違いにも気づきやすくなるということだ。
己を知り、他人の様子を観察しながら、配慮を重ねる。ユーモアには、絶妙のバランスが必要である。
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