さて、「打ち込みのリズム=機械的・無機的=グルーヴ感がない」という連想が強い。またYMO時代の高橋幸宏のドラムスについて、よく「機械的で正確無比だった」と評される。
しかし、だとすると『ライディーン』のこのグルーヴは何なんだということになる。何が、私たちを踊り狂わせたのか。
細野晴臣が語った高橋幸宏のドラムス
サイト『音楽ナタリー』の「細野ゼミ」という企画(『細野晴臣とテクノ』2022年9月9日)で、細野晴臣(この方はますます元気そう)がこう語っている。
――それ(註:自動演奏)を聴いたら、説明できないけど、均等なリズムにすごく快感を覚えた。それまで一緒にやっていたミュージシャンは離れていったよね。皆クリック(註:メトロノーム音)に合わせるのを嫌がって(笑)。で、それを喜んでやったのが高橋幸宏だった(笑)。(中略)でも、クリックに対してタイミングをずらさずにドラムを叩くためには、力を使わなきゃならない。だから練習をするわけなんだよ。ボタンを押すと「1、2、3……」って秒数が出るタイマーみたいなのがあって、「これを1秒で止めるにはどうしたらいいか」とか言いながら(笑)。
この発言を読んで思うのは、高橋幸宏が「喜んで」「力を使」ったのは、打ち込みの機械的リズムに忠実に合わせるだけでなく、そこに人間的なグルーヴを詰め込んで、「均等なリズム」の「快感」をさらに高めることではなかったか、それが当時の私を踊り狂わせた『ライディーン』の快感性の本質ではないか、ということである。
快感性に加勢したのは、『ライディーン』のあの印象的なAメロが、ディスコのリズムになっていることだ。具体的には、バスドラム(大太鼓)が四分音符の「4つ打ち」(ドン・ドン・ドン・ドン)になっている。これは当時、世界的に流行していたリズムで、それそのものが気持ちよかった。
加えて、その機械的な四分音符1つひとつに、人間的なグルーヴ、人間・高橋幸宏による「揺らぎ」が詰め込まれた。この「機械+人間」の構図による「きもちよさ」こそが、当時の私たちの腰を揺らした張本人だったと考えるのである。
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