下ネタ多めとの評「源氏物語」実際はだいぶ違う訳 紫式部の筆が乗るのは「翌朝」以降を描くとき

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二千円札に描かれた『源氏物語』の作者、紫式部(写真:ニングル/PIXTA)
日本の古典文学というと、学校の授業で習う苦痛な古典文法、謎の助動詞活用、よくわからない和歌……といったネガティブなイメージを持っている人は少なくないかもしれませんが、その真の姿は「誰もがそのタイトルを知っている、メジャーなエンターテインメント」です。
学校の授業では教えてもらえない名著の面白さに迫る連載『明日の仕事に役立つ 教養としての「名著」』(毎週木曜日配信)の第15回は、引き続き2024年のNHK大河ドラマの主人公、紫式部の『源氏物語』について解説します。
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光源氏はマザコンだったのか?

『源氏物語』最大のヒロインといえば、光源氏の義母でありながら、光源氏が人生で忘れることのなかった恋をする相手、藤壺の宮であろう。彼女は「桐壺更衣(光源氏の母)に似ている」という理由で桐壺帝の中宮となる。

しかし思いがけず、桐壺帝の息子である光源氏に恋されてしまう。光源氏は藤壺の宮に懸想するあまり、自分の邸宅のリフォームが完成したときですら、「あー、こんな家に藤壺の宮と住めたらいいのになあ」なんて思っていた。もうすぐ結婚する妻(葵の上)がいるにもかかわらず、である。

現代的な感覚からしたら、光源氏なんて「自分の母親的存在に恋をしたマザコン」と思われるかもしれない。しかし実は、源氏と藤壺は6歳しか違わないのだ。

当時の史実においても、例えば中宮定子と一条天皇の年の差は3歳、中宮彰子と一条天皇の年の差は8歳。源氏と藤壺の6歳差というのは、ちょうど姉と弟くらいの関係だったのではないだろうか。

光源氏にとって藤壺の宮は、自分が一緒にいると周りから評判になるきれいなお姉さんでもあった。実際、光源氏、藤壺の宮、桐壺帝、この3人が並んだ様子は『輝く日の宮』と呼ばれるほどの評判だったのだ。といいつつ、物心もつかないうちに母を亡くした源氏は、藤壺に母の影を求めていたのも本当だろうけれど。

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