宮も、あさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず心深う恥づかしげなる御もてなしなどのなほ人に似させたまはぬを、などかなのめなることだにうち交じりたまはざりけむと、つらうさへぞ思さるる。
<意訳>藤壺の宮も「なんでこんなことになってしまったんだ」と昔の出来事への苦悩が頭から消えない。ああ、これ以上同じ過ちを犯さないようにしようと思っていたのに……また同じことを繰り返してしまった。つらい。後悔してばかりだ、と心から葛藤していた。
しかしそんな悩める彼女を、光源氏は「こんな苦悩されているお姿も、親しみやすい可愛らしさがあるな……。でも、かといって私になれなれしくする様子はない。なんて慎み深い女性なんだ! こんな人、ほかにいない!」と感動していた。
むしろ「なんでこの方はこんなに一点の曇りもなく完璧なんだろう」と、その存在の尊さに、つらさすら感じてしまうのだった。
義息子と関係を持ってしまい、苦悩する藤壺を見て、最高すぎてつらい! と思う能天気な光源氏。最後の一文は、令和風に言うと、「推しが完璧すぎてつらい」である。
しかもちょっと気になるのが、藤壺が源氏と関係を持った翌日「あさましかりしを思し出づるだに」(=びっくりしてあきれるような出来事を思い出すたびに)と言っていること。つまり藤壺と光源氏の密通は、どうやら一度ではないらしいのだ。さらっと書いてあるが、たぶん何度かこういうことがあったのだろう。
藤壺の宮は光源氏にとって一生「推し」であり続けた
前妻とは違って完璧な身分と容姿と評判を携えた、みんなのアイドル藤壺の宮。6歳下の義息子・光源氏は彼女に恋をする。しかし彼の押しが強すぎて、「推し」こと藤壺と関係を持ってしまった。そりゃあ物語の一大スキャンダルにもなるだろう。おまけに子どもまでできてしまったのである。
一方で源氏は、藤壺の宮と似ているからという理由で、まだ少女だった紫の上を引き取る。紫の上は光源氏を生涯支える正妻となるが、父親と同じく「初恋の人と似ているから」という理由で妻を選ぶあたり、業の深さが垣間見える。
藤壺の宮は、光源氏にとって最初の「推し」だった。そう考えて『源氏物語』を読むと、光源氏が一生藤壺のことを忘れられなかった理由がちょっとわかる。恋とは対等な関係の相手だが、推しとはつまりずっと自分のあこがれで、手の届かない存在だから。
きっと光源氏にとっては、たとえ関係を持っても藤壺の宮が「手に入った」と思う瞬間はなかったのではないか。だからこそ彼女は一生、「推し」であり続ける。
そう解釈してみると、『源氏物語』中において藤壺の宮の存在感がいやに大きいことの理由が、少しわかってくるかもしれない。
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