2人の出会いはおそらく源氏が10歳くらいで、藤壺と一夜を共にし、妊娠させてしまうのは18歳のとき。つまり8年間ほど彼は藤壺に一方的に想いを募らせた末に、『源氏物語』最大のスキャンダルをやらかすのだった。
しかし、もしあなたが「おっ、とうとう光源氏と藤壺が一線を越える! 紫式部はどんなふうにねっとり描いているんだ!」とドキドキ期待しながら原文を読んだら、きっと拍子抜けすることだろう。
いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現とはおぼえぬぞ、わびしきや。
<意訳>王命婦(藤壺の侍女)は2人をどんな方法で会わせたのだろうか……なんとか無理をして会うことになったのだが、その時間も現実だと思えなくて、源氏は困っていた。
えっ、これだけ!? うっかり読み落としてしまいそうな一文ではないだろうか。
「いとわりなくて見たてまつるほどさへ」というのは、直訳すると「めっちゃ無理をしてそういうことをすることになったときでさえ」。つまり藤壺の宮がやめろ~と言っているのに源氏が半ば無理やり押しかけた、ということだ。
ちなみに古語で「見る」というのは、平安時代に「男女がお互いの顔を見る」のは、そういうことをするタイミングしかなかったため、「見る=男女の仲になる」という意味なのである……。
男女の仲になる最中の様子はさらっと描いている
たまに『源氏物語』が、恋愛のドロドロばかりを書いている、下ネタ多めの作品、と評されることが多いが、私は原文を読むかぎり、その解釈にはうなずけない。むしろ『源氏物語』ほど、男女の仲になる最中の様子をさらっと描く恋愛小説を私はほかに知らない。いつもうっかり見逃してしまいそうなほどだ。
紫式部の筆が乗るのは、どちらかというと男女の仲になった「翌朝」以降の感情を描くときなのである。
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